『陸海軍喇叭譜 (1885)』 その1
【日本のラッパの起源と進化】- その10
江戸幕府末期から明治初期にかけて、日本陸軍は『喇叭譜号 全』、ギュティグ、ダグロン、ルルーへと連なるフランス系の系譜を受け継ぎ、一方、日本海軍は、英国陸軍省制定公式歩兵教練書『英国歩兵教練書』(1866)およびフェントンの流れを汲むイギリス系のラッパ譜を取り入れました。
この二つの異なる源流こそが、後の自衛隊へと継承され、さらには地域社会にまで根付くことになる「ラッパ文化」の出発点となりました。
陸海軍ラッパ譜の公的統一と制定
本シリーズ【日本のラッパの起源と進化】では、これまで明治初期に導入された4つの主要な喇叭(ラッパ)譜について見てきました。フランス軍事顧問団のギュティグ伍長の指導によると思われる『喇叭譜号 全』 (1868)、そして英国陸軍省制定の公式教範を翻訳した『英国歩兵教練書』(1866)、『英国尾栓銃練兵新式』(1869)、『英国銃隊練法』(1870)です。
日本陸海軍でそれぞれ活用されていたこれら外来の喇叭譜は、1885年(明治18)12月、日本オリジナルのラッパ譜『陸海軍喇叭譜』として統合・制定されました。

陸海軍喇叭譜の制定通達(明治18年12月3日)
達乙第百五十四號
陸海軍喇叭譜同喇叭譜目次同喇叭吹奏歌同喇叭譜 所用區分表別册之通相定候條此旨相達候事
明治十八年十二月三日 陸軍卿伯爵大山 巌
達乙第154号
陸海軍喇叭譜、および同喇叭譜目次、同喇叭吹奏歌、同喇叭譜所用区分表を、別冊の通り定めたので、この旨を通知する。
明治18年12月3日 陸軍卿伯爵 大山 巌
当時の陸軍卿 大山巌 によって出された「達乙第百五十四號」には、陸海軍で共通して使用すべき喇叭譜とその目次、さらには吹奏歌や所用区分表を定めたことが明記されています。
*1 大山 巌(1842年 - 1916)は、日本の政治家。陸軍大臣(初代・第3代)、陸軍参謀総長(第4・6代)、大警視(第2代)、文部大臣(臨時兼任)、内大臣(第4代)、元老、貴族院議員を歴任
凡例
陸海軍喇叭譜ハ陸海軍互ニ適用スル者ナリト雖モ亦各々専用スル者アリ
名稱ヲ異ニスルモ其實相同キ者若クハ類似スル者ノ如キハ各別ニ譜ヲ設ケス總テ同一ノ譜ヲ流用ス
招呼ノ部ニ於テ某官(兵)譜ノ頭上ニ某隊若クハ週番ノ譜ヲ冠スル時ハ即チ某隊ノ某官(兵)若クハ週番ノ某官ヲ指示スルモノトス(譬ヘハ某聯隊ノ喇叭長ヲ呼ハントスルトキハ某聯隊ノ譜ヲ奏シ次ニ喇叭長ノ譜ヲ奏ス又週番ノ小隊長ヲ呼ハントスルトキハ週番ノ譜ヲ奏シ次ニ小隊長ノ譜ヲ奏スル等ノ如シ)
本譜ノ編綴ハ概ネ各種ノ動作ニ基キ形容セシ者ト雖而其種類ニ依リ歌曲ニ合セ或ハ單ニ各譜ノ判別明了ナルヲ主トスルモノアリ
凡例
陸軍と海軍の共通利用について この「陸海軍喇叭譜」は、陸軍と海軍が互いに共通して適用するものであるが、一方でそれぞれの軍が独自に(専用で)使用する曲も存在している。
重複の回避と統合 曲の名称が異なっていたとしても、その実態が同じもの、あるいは非常に似ているものについては、個別に楽譜を設けることはせず、すべて同一の楽譜を共通して使用(流用)する。
組み合わせによる指示(合成信号)のルール 「招呼(呼び出し)」の部において、特定の官職や兵科の譜面の前に、特定の部隊名や「週番」の譜面を組み合わせて奏する場合は、すなわち「その部隊のその官職」、あるいは「週番のその官職」を指し示すものとする。
例: ある連隊のラッパ長を呼び出そうとする時は、まず「その連隊の譜」を奏し、次に「ラッパ長の譜」を奏する。また、週番の小隊長を呼び出そうとする時は、まず「週番の譜」を奏し、次に「小隊長の譜」を奏する、といった具合である。
本譜の編集方針は、概ね軍隊における各種の動作に基づき、それを描写(形容)するように作成したものである。 しかしながら(とはいえ)、その種類によっては、覚えやすい歌曲(メロディ)に合わせて作られたものもあれば、あるいは単純に各ラッパ譜の聞き分けが明確であることを第一の目的としたものもある。
この通達の「凡例」を読むと、当時のラッパ譜が単なる合図の集まりではなく、極めて合理的かつ体系的な運用ルールに基づいていたことが分かります。その特徴は大きく分けて三つあります。
陸海軍の相互運用と効率化
この喇叭譜は陸軍と海軍で相互に適用することを原則としていました。たとえ名称が異なっていても、旋律が同じ、あるいは類似している曲については個別に楽譜を設けず、すべて同一の譜を流用するという徹底した効率化が図られています。
「宛先」と「用件」を伝える組み合わせ
特定の部隊や役職を指定する際には、複数の譜面を組み合わせて吹奏するルールが確立されていました。例えば、「特定の部隊の譜(諸名號)」を吹いた直後に「役職の譜(招呼)」を奏することで、誰に対する指示かをピンポイントで特定することができました。
機能性と音楽性の両立
軍隊の動作を音で形容して作られたものがある一方で、覚えやすさを重視したメロディに合わせたもの、あるいは聞き分けやすさを主目的としたものなど、実戦と教育の両面から設計されていたことが明記されています。
第一號から第二百甘一號
1885年(明治18年)に制定された『陸海軍喇叭譜』には、全221曲に及ぶ喇叭譜が収められています。これらは目的別に6つのカテゴリーに体系化されており、その目次からは、音によって組織を自在に操ろうとした当時の精密な設計思想を読み取ることができます。
宛先を指定するカテゴリー(誰に)
|諸名號《しょめいごう》ノ部 66曲
近衛連隊や各地の衛戍連隊、陸海軍の学校など、特定の組織を指し示す「部隊固有の識別信号」
一般隊號ノ部 13曲
歩兵・騎兵といった「兵科」や、大隊・中隊といった「部隊の規模」を指定する信号。
招呼ノ部 30曲
特定の役職や当番を呼び出す「役職指名」の信号。
行動を指示するカテゴリー (何を)
敬體ノ部 5曲
天皇や上官、あるいは故人に対する「敬礼」の信号。
日課及諸號音ノ部 100曲
起床、食事、消灯など、軍隊生活の規律を司る「日課・全般」の信号。
行進ノ部 7曲
部隊の歩調や移動をコントロールする「行進」の信号。
陸海軍喇叭吹奏歌
明治18年の制定通達(達乙第154号)の中には、全部で9曲の「喇叭吹奏歌(歌詞)」が示されています。しかし、この通達本文には歌詞付き喇叭譜はもちろんのこと、それ以外の喇叭譜についても譜面そのものは掲載されていません。
これは当時、楽譜や歌詞の詳細は「別冊」や「付録」として発行されていたためとも考えられますが、他の資料等を当たっても、現在のところ1885年(明治18年)当時の「陸海軍喇叭譜」そのものは確認できていません。

第一號 君が代
君が代は。千代に八千代に。さゝれ石の。いはほとなりて。こけのむすまで。

第二號 海ゆかば
海ゆかば。みつくかばね。 やまゆかば。くさむすかばね。 大君の。辺にこそ死なめ。などには死なじ。

第三號 皇御國
皇御國の。ものゝふは。いかなることをか。つとむべき。たゞ身にもてる。まごゝろを。わが大君につくすまで。

第四號 國の鎮め
国の鎮めの。みやしろを。いつきまつらふ。神みたま。けふのまつりの。にぎはひを。あまかけりても。みそなはせ。治まる御代をまもらせ。

第五號 命を捨てゝ
命を捨てゝ。ますらをが。たてしいさをは。天地の。あるべきかぎり。かたりつぎ。いひつぎゆかむ。のちの世たえせずつきじ。よろづよも。

第二百十五號 扶桑歌
わが天皇の。治めらる。わが日本は。よろづ世も。やほよろづよも。動かぬぞ。神の御代より。かむながら。治めまへば。とことはに。動かぬ御代ぞ。かはらぬぞ。四方にかゞやく。御稜威は。月日のことく。照すなり。かゝるめてたき。わが國ぞ。やよ國民よ。あさゆふに。天皇が惠に。むくいんと。こゝろをあはせ。ひたぶるに。盡せよや人力をも。あはせてつくせ。人ゝよ。

第二百十八號 あらきいはね
あらきいはねを。ふみさくみ。かけしきさかを。超えゆくも。ものゝふの身の。つねぞかし。ならせやなれる。君がため。いむかふ敵は。むけにへつ。かへりてはやく。わが君の。みこゝろやすめ。まゐらせむ。いそげやいそげ。みいくさよ。

第二百十九號 なほ君の
なほ君の。御稜威かしこし。みいくさの。いさを尊とし。まつろはぬ。國をことむけ。ちはやぶる。ひとをやはして。たひらけく。かへるなれば。大君の。みいつかしこし。御軍の。功績たふとし。そのみいつはや。そのいさをはや。

第二百廿號 ふきなす笛
ふきなす笛の。そのねとも。さゝくる旗の。そのいろも。ものゝあはれを。しりがほに。けふはものこそ。かなしけれ。千百萬の。敵軍も。とりて来ぬべき。ますらさをと。ねもへる。我等が袖までも。涙の雨にぬれにけり。

フランスの歌詞付きラッパ譜
明治政府が軍制の範としたフランスの教本を確認すると、ラッパ譜に歌詞(Chant)を付した事例が見られます。これらは、楽譜を読むことのできない兵士が、旋律やリズムを身体感覚として習得するための補助手段として機能していたものと考えられます。
以下に紹介する二つの事例からは、当時のフランスにおけるラッパ教育の一端をうかがうことができます。一方では「愛すべき船乗り」と呼びかけることで、海軍としてのアイデンティティが歌い上げられ、他方では「一分間に115歩」という具体的な歩行規定が歌詞の中に織り込まれています。
このような音と言葉を組み合わせた教習法は、日本において明治18年(1885)に制定された『陸海軍喇叭譜』における吹奏歌の導入に対して、何らかの影響を及ぼしていた可能性があると考えられます。
海兵隊ラッパ教本
フランスの海兵隊ラッパ教本『Méthode adoptée pour l'étude des sonneries dans les bataillons de marins fusiliers et les compagnies de débarquement à bord des bâtiments de la flotte (2e éd.)1864』(艦隊艦艇における水兵連隊および上陸部隊における警報音の研究に採用された方法(第2版)1864)に歌詞付きのラッパ譜が記されています。
PAS ACCÉLÉRÉ
Cadençant le pas, Narguant le trépas, En avant! Beau marin, gros chéri des amours. Dans l'sentier d'la gloire, Le ch'min d'la victoire, Carrément faut marcher toujours.
速歩
足並みをそろえ 死をも恐れず 前進せよ! 愛すべき勇ましき船乗りよ 栄光の小道を 勝利への道を 常に堂々と歩まねばならぬ

陸軍歩兵科ラッパ教本
フランスの陸軍歩兵科ラッパ教本『Sonneries d'ordonnance officielles et réglementaires de l'infanterie, avec paroles de Antonin Louis.1884』(フランス陸軍 歩兵科の「公式ラッパ信号譜集」アントワーヌ・ルイ 作詞)に歌詞付きのラッパ譜が記されています。
LA MARCHE D'EAU
Pas accéléré, C'est délibéré, Il faut cent quinze pas par minute, Puis pour bien s'exercer Quand on l'exécute Il faut souvent recommencer! Tout fier dans sa dé- -marche, Lorsque marche en avant Au pas bien carrément Un nombreux régi- -ment, N'est-il rien de plus beau vraiment!
水の行進
速足で行こう、覚悟を決めて 刻むリズムは一分間に115歩 正しく歩けるようになるまでは 何度も何度も繰り返すのだ! 胸を張り、堂々と前進する 規律正しく行進する大連隊の姿 これほどまでに美しいものが 本当に他にあるだろうか!

*2 アントーヌ・ルイ(Antonin Louis : 1845 - 1915)は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの作曲家、作詞家、およびシャンソン歌手。
『喇叭譜号』に見る初期の姿
慶応3年(1867年)に刊行された『喇叭譜号』を確認すると、そこには「PAS ACCÉLÉRÉ(速歩)」や「LA MARCHE D'EAU(水の行進)」と旋律を同じくする喇叭譜「早足」が、すでに採録されていることが分かります。
一方、本国フランスに目を向けると、1864年刊行の海兵隊喇叭教本『Méthode pour l'étude des sonneries …(第2版)』の段階で、ラッパ譜に歌詞を付す形式が導入されていました。こうした時系列を踏まえるならば、『喇叭譜号』が編纂された当時、フランスでは「歌詞付きラッパ」による教習が、すでに一定の慣行として成立していたと考えられます。
しかしながら、日本の『喇叭譜号』そのものには、歌詞の記載は確認できません。このことから、少なくとも刊行物としての公式な受容は、あくまで「旋律(信号音)」としての導入にとどまっていたことが、史料上から読み取れます。
もっとも、当時のフランス式伝習において、ギュディグ伍長による実技教授の場面で、補助的に歌詞が用いられていた可能性については、現時点では否定しきれず、今後の検討課題として留保しておく必要があります。

陸海軍喇叭譜所用區分表
1885年(明治18年)12月3日に制定された『陸海軍喇叭譜』は、陸軍と海軍が共通の喇叭譜を相互に運用することを原則とし、情報伝達における徹底した効率化を志向したものでした。
この通達に付された「陸海軍喇叭譜所用區分表」を参照すると、各喇叭譜が陸軍・海軍の双方で用いられたのか、あるいはいずれか一方のみに限定して使用されたのかといった具体的な運用区分を、一目で確認することができます。
陸軍
「歩」「騎」「砲」「工」「輜」は旧日本陸軍の五兵科を表す略字です。
歩=歩兵は陸軍の主力で小銃・銃剣を主武装とし、陣地占領・防御・突撃を担当する。
騎=騎兵は馬に乗って行動する機動兵科で偵察・追撃・側面攻撃などを担当する。
砲=砲兵は大砲・野砲・榴弾砲などを運用し、遠距離火力支援を担う。
工=工兵は橋梁構築、陣地構築、爆破、地雷設置などを担当し、戦闘と土木技術を兼ねる専門兵科。
輜=輜重兵は兵站(補給)を担当し、食料・弾薬・装備・輸送を管理。
海軍
陸軍ほど細分された兵科略号は用いられず、「艦」は船上、「陸」は陸上勤務というように勤務場所による大分類が基本です。
艦=艦上勤務(艦艇部隊)で軍艦に乗り組む将兵のこと
陸=陸上勤務(陸戦・基地要員)で海軍施設・要港部・航空基地などに勤務する将兵のこと。海軍陸戦隊(海軍歩兵)もここに含まれる。

現在のところ1885年(明治18年)制定通達の『陸海軍喇叭譜』(以下、「陸海軍喇叭譜1885」)そのものは確認できていないので、1897年(明治30年)厚生堂発行の『陸海軍喇叭譜』(以下、「陸海軍喇叭譜1897」)に記された喇叭譜が制定通達の譜を推察する唯一の手がかりとなります。
ところが「陸海軍喇叭譜1897」は、石版印刷の稚拙さによるものか、印刷物の保管状態によるものか、あるいは編集方針によるものかは判然としませんが、判読に大きな困難があります。
「陸海軍喇叭譜1885」を直接確認できる日が訪れることを、心から願っています。
とりあえずのまとめ
明治維新前後にフランスおよびイギリスから伝えられたラッパ譜は、1885年(明治18年)12月3日に公布された『陸海軍喇叭譜』の制定通達をもって、日本独自の体系へと再編され、ひとつの「日本文化」へと昇華されました。
混迷から統一へ
幕末期、日本にもたらされた喇叭には、陸軍のフランス系譜(『喇叭譜号』)と、海軍のイギリス系譜(『英国歩兵教練書』等)という、二つの異なる源流が存在していました。当初、これらは単なる「外来の信号音」に過ぎませんでしたが、1885年(明治18年)の『陸海軍喇叭譜』制定によって、初めて日本独自の体系として統合・整理されることになります。
この統合は、単なる事務的な整理にとどまるものではありませんでした。凡例に示された「陸海軍の相互運用」や「合理的な組み合わせ規則」に見られるように、それは音によって巨大な軍事組織を自在に操るための、極めて精密な「音響通信システム」の完成を意味していたのです。
「旋律」から「吹奏歌」へ
本稿で注目したのは、明治18年の制定時に新たに公式化された「吹奏歌(歌詞)」の存在です。幕末の『喇叭譜号』には存在しなかった歌詞が、この段階で導入された背景については、現時点では不明です。
しかし、フランスの事例に見られる歌詞を用いた教育手法は、旋律を通じて軍事規律や団意識を身体的に定着させる、きわめて合理的な方法であったと考えられます。日本はこれを受容しつつも、「君が代」「皇御國」といった日本固有の精神性を帯びた歌詞を付することで、西洋由来の技術を日本独自の価値体系へと翻案しようとしたのかもしれません。
楽譜を読むことができなくても、歌を口ずさむことで旋律を覚え、規律を身につける──この「吹奏歌」という形式こそが、ラッパを単なる軍事信号から、兵士たちの日常に寄り添う文化的実践へと変容させた鍵であった可能性が考えられます。
現代へと繋がる響き
明治18年に完成した221曲からなる喇叭譜体系は、その後、軍の枠組みを超えて社会のさまざまな領域へと浸透していきました。戦後、軍隊としての喇叭は姿を消しましたが、その教育方法や一部の旋律、そして「音によって組織を動かす」という発想は、現在の自衛隊や消防団、さらには地域の伝統行事の中に、形を変えて受け継がれています。
140年前に大山巌によって署名された一通の通達。そこから始まった「日本のラッパ」の響きは、今もなお、私たちの社会の規律と連帯の音として、静かに、そして確かに鳴り続けているのです。
HIRAIDE HISASHI

関連項目
【日本のラッパの起源と進化】シリーズ 1〜32
【日本のラッパの起源と進化】 - その1
― フランス軍事顧問団とギュティグの役割 ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その2
― 二度来日したラッパ伍長ギュティグ ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その3
― 喇叭譜号 全 (一般信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その4
― 喇叭譜号 全 (運動合図信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その5
― 喇叭譜号 全 (三重奏と部隊信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その6
― 『英国歩兵練法』慶応2年の喇叭合圖 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7
― 『英国歩兵練法』とフェントン ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7 - 2
― 『英国歩兵練法』とフェントン (改訂版) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その8
― 『英国尾栓銃練兵新式』と『英国銃隊練法』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その9
― 『旭川と佐呂間でラッパ隊を聞く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その10
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その1 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その11
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その2 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その12
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その3 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その13
― 『諸外国の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その14
― 『日本の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その15
― 『駆歩行進』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その16
― 『北海道のラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その17
― 『浜松まつりのラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その18
― 『おかえり祭りは二種類ラッパが交互に響く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その19
― 『美川で最初に吹き鳴らされたラッパ譜』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その20
― 『音商標への登録』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その21
― 偕行文庫の『陸海軍喇叭譜』―
【日本のラッパの起源と進化】- その22
― 『イタリア・トリノの消灯ラッパ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その22 【改訂版】
― 『夜空のトランペットのルーツ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その23
― 『朝はラッパで始まる ― 起床ラッパ二百年の歴史 』―
【日本のラッパの起源と進化】- その24
― 『いまさらですが「らっぱ」って何ですか』―
【日本のラッパの起源と進化】- その25
― 『消えゆくラッパの響き ― 佐呂間消防団ラッパ隊の記録』―
【日本のラッパの起源と進化】- その26
― 『ながのってすごいぞ/御柱』―
【日本のラッパの起源と進化】- その27
― 『ながのってすごいぞ―消防:基礎編』―
【日本のラッパの起源と進化】- その28
― 『ながのってすごいぞ―消防:応用編』―
【日本のラッパの起源と進化】- その29
― 『戦後ラッパ譜の成立 ― 須摩洋朔と自衛隊音楽隊の出発』―
【日本のラッパの起源と進化】- その30
― 『現代音楽作曲家のラッパ譜 ― 黛敏郎と自衛隊儀礼音楽』―
【日本のラッパの起源と進化】- その31
― 平戸に響いたファンファーレ ― ザビエル来航とポルトガル人の歓迎
【日本のラッパの起源と進化】- その32
北海道の夜明けを告げた響き ── 屯田兵第四大隊とラッパ譜
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル』 ― 《BandLifeWorld版》
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル─音が伝えるもの、形が残すもの』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『信号ラッパの旋律はどこへ向かったのか ─ 軍事・芸術・大衆文化の交差点』―
