信号ラッパの旋律はどこへ向かったのか ─ 軍事・芸術・大衆文化の交差点
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
チャイコフスキーの『イタリア奇想曲』やニニ・ロッソの『夜空のトランペット』。これらの名曲にイタリア軍の『消灯ラッパ』が引用されている事実はよく知られていますが、調べてみると、信号ラッパの旋律を効果的に取り入れた楽曲は、意外なほど多く存在することに気づかされます。
これまで親しんできた楽曲から、本シリーズの執筆過程で新たに発見した楽曲まで、備忘録としてここに書き留めておこうと思います。
あの旋律は、どの国の信号ラッパだろう?
信号ラッパの旋律がはっきりと提示されていて、テレビでもよく耳にするし、学校行事や授業でも聞いことのある広く知られている楽曲があります。
そこで、その楽曲に引用されているラッパ信号が一体どこの国の旋律なのかを調べてみました。
ウィリアムテル序曲
1829年にジョアキーノ・ロッシーニ(Gioachino Antonio Rossini, 1792 - 1868)が作曲した歌劇『ギヨーム・テル(ウィリアムテル)』の序曲を作曲しました。この序曲第4部のアレグロ・ヴィヴァーチェ は、ファンファーレ に導かれる行進曲で、テレビ番組やCM、運動会などでもよく知られています。


第4部は通称「スイス軍の行進」として知られているため、このファンファーレはスイス軍の号音に由来する旋律ではないかと考えました。しかし、そのことを裏付ける資料を確認することはできませんでした。むしろ、号音が限られた音しか出すことができないという特性を踏まえ、ロッシーニが創作した旋律である可能性が高いように思われます。
軽騎兵序曲
1866年にフランツ・フォン・スッペ(Franz von Suppè, 1819 - 1895)は、2幕からなるオペレッタ『軽騎兵』を作曲し、その序曲 を発表しました。この序曲の冒頭には勇壮なファンファーレ が鳴り響きます。


このファンファーレは、スッペの生まれ育ったウィーンに由来する旋律ではないかと考えました。しかし、そのことを裏付ける資料を確認することはできませんでした。このファンファーレも、号音が限られた音しか出すことができないという特性を踏まえ、作曲家が創作した旋律である可能性が高いように思われます。
レオノーレ序曲第3番
1806年ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven,1770 - 1827)が
オペラ『フィデリオ』のために作曲した4つの序曲のうち、最も有名な作品です。ベートーヴェン自身はこのオペラを「レオノーレ」という題名で上演することを望んでいましたが、劇場側の意向により『フィデリオ』として上演されました。
このオペラは、改訂上演に向けて数回にわたる書き直しが行われ、その過程で計4曲の序曲が作曲されました。この第3番 では、劇中で大臣の到着を知らせる軍隊のラッパ信号 として、舞台裏(バンダ)からトランペットの独奏が鳴り響きます。
この信号もまた、当時のナチュラルトランペットが奏でる倍音の制約に基づきつつ、ベートーヴェンが創作した旋律である可能性が高いと考えられます。


交響曲第3番『英雄』
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1804年に作曲した交響曲第3番『英雄』 の第3楽章にはホルン三重奏による旋律が現れます。これは 狩猟信号(ハンティング・ホルン) を模したもので、 信号ラッパと同じ自然倍音系の書法によっています。ただし、いわゆる軍隊の信号ラッパとは性格の異なるものと思われます。


交響曲第31番
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809)が1765年に作曲した交響曲第31番 はは「ホルン信号」(Mit dem Hornsignal)の愛称で知られ、4本のホルンがシグナル を演奏します。


管弦楽組曲第3番
1722年頃から1731年頃にかけて、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach,1685-1750)によって作曲されました。ナチュラルトランペット3本を編成に加えた『管弦楽組曲第3番』 は、2本のオーボエとティンパニも加わる祝祭的な作品です。冒頭で鳴り響くトランペットのファンファーレ は、その華やかさを一層際立たせています。
この旋律は信号ラッパが制度として成立する以前の時代のものと考えられます。


作曲家が描いた信号ラッパ
このように、クラシック音楽には信号ラッパを思わせる旋律がしばしば登場します。ウィリアム・テル序曲や軽騎兵序曲、さらにレオノーレ序曲第3番などに現れるファンファーレは、いずれも軍隊の信号ラッパを連想させる響きを持っています。
しかし、それらが特定の国の軍隊ラッパ信号を直接引用したものであることを示す資料は確認できませんでした。むしろ、当時のナチュラルトランペットが奏でることのできる限られた倍音列の音を用いて、作曲家が軍号らしい響きを意図的に創作した旋律である可能性が高いと考えられます。
つまり、クラシック音楽に現れる「ラッパ信号」は、実際の軍隊信号をそのまま引用したものというよりも、信号ラッパの音響的特徴を踏まえて作曲された音楽的表現である場合が多いと言えるでしょう。
曲名に「信号ラッパ」が含まれる楽曲
「ラッパ」という言葉は、各国で「clairon(フランス語)」「signalhorn(ドイツ語)」「bugle(英語)」などと呼ばれており、これらはいずれも信号ラッパを指す呼称です。
そこで、曲名に「ラッパ」が含まれる楽曲であれば、信号ラッパの旋律が引用されている可能性もあるのではないかと考え、その点について確認してみます。
Le clairon (ラッパ)
フランスの詩人ポール・デルレード(Paul Déroulède, 1846–1914)の詩 に基づく軍歌・愛国歌です。戦場でのラッパ手(clairon)の勇敢な行動を歌った作品で、詩は19世紀後半に発表されました。エミール・アンドレ(Émile André, 1838–1897)が作曲した旋律 は、信号ラッパの響き を模したものと考えられます。この歌はその後、第一次世界大戦期から戦間期にかけて広く歌われるようになりました。



Signalhorn des Nachtwächters (夜警の信号ラッパ)
オーストリアの作曲家ヴィルヘルム・キーンツル(Wilhelm Kienzl,1857-1941)のオペラ『エヴァンゲリマン(福音を説く男)』(Der Evangelimann, Op. 45)の第1幕・第9場に登場する印象的なシーンの旋律が「夜警の信号ラッパ」 で、警戒警報らしくF#とA音のみが繰り返される号音風の旋律です。
譜例12) 1:03:04 付近
譜例13) 1:03:28 付近
譜例14) 1:04:06 付近



Bugler's Holiday (トランペット吹きの休日)
アメリカの作曲家ルロイ・アンダーソン(Leroy Anderson,1908 - 1975)が1954年に作曲した、原題「Bugler's Holiday」 は、日本では「トランペット吹きの休日」と和訳されています。
しかし bugler とは本来、軍隊などで信号ラッパ(ビューグル)を吹く ラッパ手を指す言葉です。作曲者がこの曲を「ビューグル奏者の休日」と名づけたことには、伝統的で実用的な「合図」の道具でもあるビューグルから解放されたひととき、すなわち 軍務の拘束からの解放 といったニュアンスが含まれているのかもしれません。いかにも開放感に溢れるワクワクした軽快な音楽が繰り広げられます。

A Trumpeter's Lullaby (トランペット吹きの子守唄)
ルロイ・アンダーソンが「Bugler's Holiday」の6年前、1949年にボストン・ポップス・オーケストラのために作曲したのが「A Trumpeter's Lullaby (トランペット吹きの子守唄)」 です。題名に「Bugle」という語は含まれていませんが、この作品には自然倍音的な音型による、信号ラッパを思わせる号音風の旋律が随所に見られます。

The Bugler's Lament (ラッパ吹きの哀歌)
『The Bugler's Lament(ラッパ吹きの哀歌)』は、軍隊で使われる「信号ラッパ」のメロディをモチーフにした楽曲です。
初出は1955年に発売されたレコードで、クレジットにはジャズ・コルネット奏者の レッド・ニコルズ(Loring "Red" Nichols,1905-1965)と、ピアニスト・編曲家の ロバート・ハンマック(Robert Hammack, 1922-1990)の名が記されています。
題名は「哀歌(Lament)」ですが、この作品は信号ラッパの勇壮な響きとジャズの軽快なリズムとが融合した、どこか哀愁を帯びながらも華やかなソロ曲です。
この楽曲には実際の軍隊の信号ラッパ5曲が次々と引用されており、それぞれの信号がどのタイミングで現れるのかを意識して聴くと、作品の構成をより興味深く味わうことができます
https://www.youtube.com/watch?v=MZhZg-HJEnY
・「ASSEMBLY(集合)」

・「REVEILLE(起床)」

・「TAPS(消灯)」

・「MESS CALL(食事)」

・「FIRST CALL(準備)」

Bugle Call Rag(ビューグル・コール・ラグ)
https://www.youtube.com/watch?v=ErSIVK10j40
『Bugle Call Rag』は1922年に初録音されたエルマー・ショーベル(Elmer Schoebel,1896 – 1970)作曲のジャズスタンダードナンバーの一曲です。ベニー・グッドマン、グレン・ミラー、デューク・エリントンなど、たくさんのプレイヤーがこの楽曲を録音しています。
録音の多くは曲頭に「ASSEMBLY(集合)」 が演奏されます。まれに「REVEILLE(起床)」 のものもあります。
Bugler's Dream (ラッパ吹きの夢)
『Bugler's Dream(ラッパ吹きの夢)』は、フランス出身のアメリカ合衆国の作曲家レオ・アルノー(Leo Arnaud,1904-91)が1958年に発表した組曲『猛進騎兵隊(The Charge Suite)』の第1曲です。この曲は、後にオリンピック中継の象徴的なテーマ曲として世界中に知れ渡ることとなりました。まさに「猛進」する騎兵隊の勇姿が目に浮かぶような、圧倒的な推進力に満ちた組曲です。全曲を通して、金管楽器の輝かしいファンファーレと、馬の蹄音を彷彿とさせるティンパニの連打が聴く者の士気を高めます。
アメリカの放送局 がオリンピック中継のテーマ曲として長年使用していることから、日本では、「オリンピックのテーマ曲」として広く知られていました。
1996年のアトランタ五輪(NBC放送)に際し、ジョン・ウィリアムズが「Bugler's Dream」から自身の曲へ繋がる編曲を行い、現在広く知られている「Bugler's Dream and Olympic Fanfare Medley」が完成しました。
*2 1968年のグルノーブル冬季五輪(一部資料では1964年インスブルック五輪からとも)から長年にわたりオリンピック放送でABC放送が使用し、1988年のソウル五輪から放送権が主にNBC放送に移った後も、「Bugler's Dream」が使われ続けました。
「Bugler's Dream」の原曲
この「Bugler's Dream」の原曲は、フランスのトランペット奏者・作曲家であるジョゼフ=ダヴィド・ブール(Joseph-David Buhl,1781 – 1860)作曲の「旗への敬礼(Salut aux étendards)」であると言及されていますが、この表題で当該資料を見出すことことは容易ではありません。
そこで確認したところ、1856年出版のドーヴェルネ(Dauverné)編による教本『Méthode pour la trompette』の中に、原曲と考えられる旋律を見出すことができました。同書では「A L’ÉTENDARD.(旗のもとへ)」 との表題で収録されており、これが、レオ・アルノーによるBugler's Dream」へとつながる旋律であると考えられます。

軍号から音楽へ―信号ラッパの変容
本稿では、クラシック音楽やジャズ作品に登場する信号ラッパ風の旋律が、実際の軍隊信号に由来するものかを検証してきました。
その結果、「ウィリアム・テル序曲」や「軽騎兵序曲」、「レオノーレ序曲第3番」に見られるファンファーレは、特定の国の信号ラッパを直接引用したものではなく、ナチュラルトランペットの倍音列という制約を踏まえつつ、作曲家が「軍号らしさ」を意図的に創作した可能性が高いことがわかりました。
一方で、「The Bugler's Lament 」や「Bugle Call Rag」のように、実際の軍隊信号を明確に引用した例も存在します。また、「Bugler's Dream」のように、歴史的なラッパ旋律が形を変えながら受け継がれている例も確認できます。
これらを総合すると、音楽における「信号ラッパ」は、単なる引用素材ではありません。信号ラッパが持つ音響的な特性や象徴性を基盤として再構成された音楽表現であり、時代やジャンルを越えて多様な形で展開されてきた文化的要素であると言えるでしょう。

HIRAIDE HISASHI
【日本のラッパの起源と進化】シリーズ 1〜31
【日本のラッパの起源と進化】 - その1
― フランス軍事顧問団とギュティグの役割 ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その2
― 二度来日したラッパ伍長ギュティグ ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その3
― 喇叭譜号 全 (一般信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その4
― 喇叭譜号 全 (運動合図信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その5
― 喇叭譜号 全 (三重奏と部隊信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その6
― 『英国歩兵練法』慶応2年の喇叭合圖 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7
― 『英国歩兵練法』とフェントン ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7 - 2
― 『英国歩兵練法』とフェントン (改訂版) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その8
― 『英国尾栓銃練兵新式』と『英国銃隊練法』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その9
― 『旭川と佐呂間でラッパ隊を聞く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その10
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その1 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その11
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その2 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その12
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その3 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その13
― 『諸外国の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その14
― 『日本の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その15
― 『駆歩行進』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その16
― 『北海道のラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その17
― 『浜松まつりのラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その18
― 『おかえり祭りは二種類ラッパが交互に響く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その19
― 『美川で最初に吹き鳴らされたラッパ譜』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その20
― 『音商標への登録』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その21
― 偕行文庫の『陸海軍喇叭譜』―
【日本のラッパの起源と進化】- その22
― 『イタリア・トリノの消灯ラッパ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その22 【改訂版】
― 『夜空のトランペットのルーツ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その23
― 『朝はラッパで始まる ― 起床ラッパ二百年の歴史 』―
【日本のラッパの起源と進化】- その24
― 『いまさらですが「らっぱ」って何ですか』―
【日本のラッパの起源と進化】- その25
― 『消えゆくラッパの響き ― 佐呂間消防団ラッパ隊の記録』―
【日本のラッパの起源と進化】- その26
― 『ながのってすごいぞ/御柱』―
【日本のラッパの起源と進化】- その27
― 『ながのってすごいぞ―消防:基礎編』―
【日本のラッパの起源と進化】- その28
― 『ながのってすごいぞ―消防:応用編』―
【日本のラッパの起源と進化】- その29
― 『戦後ラッパ譜の成立 ― 須摩洋朔と自衛隊音楽隊の出発』―
【日本のラッパの起源と進化】- その30
― 『現代音楽作曲家のラッパ譜 ― 黛敏郎と自衛隊儀礼音楽』―
【日本のラッパの起源と進化】- その31
― 『音の指揮者― 日本のラッパ文化の現在』―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル』 ― 《BandLifeWorld版》
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル─音が伝えるもの、形が残すもの』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『信号ラッパの旋律はどこへ向かったのか ─ 軍事・芸術・大衆文化の交差点』―
