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ながのってすごいぞ―御柱

【日本のラッパの起源と進化】- その26

 かつて鬱蒼うっそうとした大原生林だいげんせいりんであったこの地に開拓のくわが入ってから、すでに一世紀を超える年月が経ちました。深い森は人の手によって切り拓かれ、今では多くの人々が暮らす土地となっています。時の流れは、この地の姿を大きく変えてきました。
 北海道に移住してきた人々が、どのような理由でこの地を目指したのかは、今となっては明らかでない場合も少なくありません。それぞれが、さまざまな背景を抱えながら決断を下したのでしょう。筆者の祖父の家族が、それまで暮らしていた長野県諏訪地方を離れた理由についても、伝え聞く話は曖昧なものにとどまっています。
 本シリーズを書き進めるうちに、どうやら「長野県のラッパ」には独自の発展が見られることに気づきました。本稿では、その一端を記してみたいと思います。


諏訪という地

 諏訪すわは、、長野県中部、諏訪湖の湖畔一帯を中心とする地名です。 この地は古来、諏訪氏の本拠として知られ、同時に諏訪大社に由来する神格―いわゆる「お諏訪さま」を戴く、特異な宗教的性格を帯びてきました。 湖と山に囲まれた閉鎖性の高い地理環境のなかで、諏訪は信仰・祭祀・武の文化を重層的に育み、近代以降は軍事・工業の拠点としても独自の発展を遂げていくこととなります。

筆者家族の地

 2023年5月7日、祖父母が北海道へ移住する前に居住していた土地を弟が訪れ、さまざまな報告を届けてくれました。
 甲斐駒ヶ岳を望むその地で農業に従事していたという祖父の名は、「觀講」祖母は「みさを」といいます。「觀」は「観」の旧字体ですが、この二文字が組み合わさったこの名を、「みつぐ」と読んでいたと聞いた記憶があります。
 北海道への移住後、祖父は家族に農作業を任せ、自身は読書三昧の日々を送っていたと聞いています。また、7人兄妹の末っ子である私の父に対し、一族にとって大切であるという「孫兵衛(まごべえ)」を授けようとしたものの、長男らの反対によって断念したという逸話も残されています。
 かつて祖父たちが暮らした土地は、諏訪大社上社の御柱祭を古くから支えてきた、熱い信仰心を持つ氏子の地でもあったといいます。

甲斐駒ヶ岳がこう見える場所が居住地だった(2023年5月7日弟が撮影)

御柱祭

 長野県の 諏訪大社 で、七年目ごとに行われる祭礼は、正式には式年造営しきねんぞうえい御柱みはしら大祭たいさいと呼ばれています。一般には「御柱(おんばしら/みはしら)」あるいは「御柱祭(みはしらしさい/みはしらまつり)」の名で広く知られています。
 「式年造営」とは、一定の周期ごとに社殿を新調・修理・建て替える神社の営みを指します。諏訪大社における御柱祭は、その造営に用いられる巨大な柱―すなわち「御柱」を山から伐り出し、各社殿へと曳き建てる一連の神事・祭礼を中心とするものです。
 諏訪大社は諏訪湖周辺に四つの神社の総称で、湖の北側に下社の春宮と秋宮、南側に上社の本宮と前宮があります。各社殿の四隅には御柱が建てられており、四社合わせて十六本の御柱が、七年目ごとに取り替えられます。この柱の更新を中心とする祭礼が御柱祭です。

Wikimedia Maps より

御柱行進曲

 御柱祭におけるラッパ吹奏について調べる中で、「御柱行進曲」というラッパ曲が祭礼の場で演奏されているいることを信濃毎日新聞のウェブサイトを通じて知りました。
 この曲は、富士見町の消防団でラッパ長を務め、後に町の吹奏楽団の初代団長となるなど、地域の音楽文化に大きく貢献された名取千代兵さんによって作曲されたものです。1973年頃、地区の御柱行事をラッパの音でより印象深く彩ろうと、「もりあがり」という曲名で作られたのが始まりだといいます。
 現在では、この曲は諏訪地方一帯に広がり、御柱祭を象徴するラッパ曲の一つとして定着しています。100年以上前、筆者の祖父母が同じ富士見町の境地区に暮らしていたという縁もあり、このエピソードを知ったことで、私自身の関心は一層深まることになりました。

木落しとラッパ

 御柱際における最も勇壮な見どころの一つである「木落し」。その中でも、筆者に縁のある富士見町の本郷・落合・境地区の2016年4月3日の動画の中で流れるラッパ曲の一部を採譜しました。

0:17付近 (譜例 1)

 曳綱の先頭が坂を降りていますが、画面上に御柱本体の姿はまだ見えていません。奏者の姿は確認できませんが、ラッパと太鼓による「譜例1」と「譜例2」が連続して演奏されるのが聞こえてきます。
・譜例1 : 曲名不明
・譜例2 : 突撃(襲撃)
・譜例3 : 速歩行進、あるいは行進

0:20付近 (譜例 2)
1:35付近 (譜例 3)

 時間が経過するにつれ、太鼓とラッパの音が一段と熱を帯びていきます。これらは威勢の良い掛け声とともに、曳き手たちを鼓舞し、励ますかのように繰り返し「譜例4」「譜例5」「譜例6」が鳴り響いています。

2:49付近 (譜例 4)
4:35付近 (譜例 5)
7:25付近 (譜例 6)

里曳きとラッパ

 「木落し」からおよそ一ヶ月後、置場おきばに安置されていた「御柱」は、諏訪大社の各社殿の境内を目指して再び動き出します。町中をゆっくりと曳き進められていくこの行事を「里曳きさとびき」と呼びます。
 勇壮で荒々しい「木落し」とは対照的に、里曳きでは騎馬行列や花笠踊り、長持ち行列などが加わり、町を舞台に華やかで雅やかな時代絵巻が繰り広げられます。その巡行の様子を記録した、本郷・落合・境地区の2022年5月4日の動画から、ラッパ曲の一部を採譜しました。

 「里曳き」出発地点と思われる場所では、「木遣」の直後に太鼓の演奏とともに「譜例7」が始まります。土手に集まった大勢の人々が御柱を見守る中での吹奏です。

0:07 (譜例7)

 曳き手たちが川を渡る場面では、「譜例 8」演奏されています。動画が連続していないため、推測を交えた採譜となっています。

0:24付近 (譜例8)

 信号交差点での方向転換という難所では、「譜例9」が鳴り続けます。「ヨイショ」「セーノ」といった威勢の良い掛け声と太鼓が共鳴し、現場の緊張感と高揚感がいっそう高まっていく様子が伝わってきます。

2:37付近 (譜例9)

 市街地において、演舞(ヨサコイや「Paradise Has No Border」など)の後、「譜例10」が鳴り始めます。動画は途中で神社の鳥居の場面へと切り替わるため、採譜は途中までにとどまっています。 

6:11付近 (譜例10)

 神社の参道を御柱が曳かれていく中、「譜例9」に続いて「譜例11」および「譜例12」が鳴り響き続けます。多くの曳手たちが、ラッパの音と掛け声によって一体となっていく様子がうかがえます。

8:01以降 (譜例11)
16:25付近 (譜例12)

 到着地点では、「木遣」の直後に「譜例13」が高らかに吹奏されます。

16:42付近 (譜例13)

 続いて、無事の到着を祝うかのように「譜例14」が演奏され、曲の終わりとともに「ありがとうございました!」という声と大きな拍手が沸き起こります。長い時間をかけて御柱を曳ききった人々の、安堵と喜びに満ちた感動的な光景が印象的です。

17:35付近 (譜例14)

 このように、里曳きにおけるラッパ吹奏は、単なる音響的な演出にとどまらず、御柱を曳く人々の動きや呼吸をそろえ、巡行の流れそのものを導く重要な役割を担っています。ラッパの音は、「ヨイショ」「セーノ」といった掛け声や太鼓のリズムと密接に結びつき、曳き手一人ひとりの身体感覚に働きかけながら、集団としての動きを自然に統合していきます。
 その響きは、御柱を安全かつ確実に目的地へと導くための実践的な合図であると同時に、里曳きという行事全体に祝祭性と適度な緊張感をもたらす象徴的な音でもあります。すなわち、里曳きにおけるラッパは、儀礼としての厳粛さと、祭りとしての高揚感とを音によって結びつけ、巡行の場そのものを祝祭空間へと変容させる存在です。その意味において、ラッパ吹奏は、現代においてもなお息づく「生きた伝統」として、里曳きを支える欠くことのできない要素であると言えるのではないでしょうか。

御柱行進曲

 「木落し」そして「里曳き」でのラッパ吹奏を採譜・分析した結果、「譜例1」「譜例11」「譜例13」は、いずれも「御柱行進曲」ではないかと推察するに至りました。
 そこで改めて「御柱行進曲」という表題で記録された映像を記録したところ、「東三地区喇叭隊 御柱行進曲」という、曲そのものを主題したと思われる動画が見つかりました。その動画の最後には「作曲 名取千代兵」とのクレジットがあり、この楽曲こそが信濃毎日新聞のウェブサイトで紹介されていたラッパ曲 譜例15に間違いがありません。

御柱行進曲 作曲 名取千代兵 (譜例15)

 地域の消防団活動を支え、音楽を通じて郷土に貢献された名取千代兵氏が、1973年頃に自地区の御柱をより活気づけたいという思いから生み出した「もりあがり(御柱行進曲)」の旋律は、時を経て地区の垣根を超え、いまや諏訪地方の御柱祭に欠かすことのできない調べとして定着しています。
 名取氏の生み出したこの旋律は、ラッパの音を通して諏訪に共通する思いを呼び覚まし、祭りに新たな息吹を吹き込みながら、現代の御柱文化の一部として昇華されてきました。
 時代とともに祭りの姿は変化していきますが、その根底にある「御柱を愛し、守り抜く」という熱い思いは、名取氏が遺したこの高らかな響きの中に、今も、そしてこれからも、力強く生き続けていくことでしょう。

諏訪市喇叭隊御柱行進曲 (譜例16)

 「譜例16」は記録動画「160514式年造営御柱大祭下社里曳き初日1442~御柱」における諏訪市喇叭隊の演奏をもとに採譜したものです。名取千代兵氏が生み出した「御柱行進曲」が、特定の地区にとどまらず、諏訪の各地で広く演奏されていることを示す、ひとつの具体的な事例であると言えます。

楽園行進曲 (譜例17)

 また、「譜例17」は、上諏訪喇叭隊が演奏されている「楽園行進曲」を採譜したものです。この演奏では、太鼓とベースが刻むリズムに乗って、ラッパが三つのパートに別れて演奏される構成になっています。こうした編成や楽曲構造から判断すると、本曲は既存曲の転用ではなく、新たに作曲された独自の楽曲である可能性が高いと考えられます。
 この事例は、御柱祭におけるラッパ吹奏が画一的なものではなく、各地域がそれぞれの創意工夫によって独自のレパートリーを生み出している現状を象徴的に示すものと言えそうです。

諏訪の地に息づくラッパの音

 本稿では、自身の家族史を端緒として、長野県諏訪地方の御柱祭におけるラッパ吹奏文化を考察してきました。調査を通じて明らかになったのは、この地が単なる生活の場にとどまらず、御柱祭を中心とした強固な信仰と共同体意識に支えられてきたという事実です。
 七年目ごとに行われる御柱祭において、ラッパの音は木遣や太鼓と並び、不可欠な要素として機能しています。映像分析および採譜の結果、ラッパ吹奏は単なる演出的要素ではなく、曳き手の動きを導き、集団の呼吸を統合する実践的な役割を担っていることが確認できました。特に里曳きでは、旋律が掛け声や太鼓と密接に連動し、祝祭空間そのものを形成する身体的な媒介として機能しています。
 また、名取千代兵氏による「御柱行進曲」の普及や、各地での新曲(「楽園行進曲」等)の誕生は、この文化が静的に保存物されるものではなく、現代の担い手によって創造的に更新される「生きた伝統」であることを物語っています。明治期以降に導入された信号ラッパをその源流としながらも、地域の祭礼と結びつく中で、世代を超えて記憶をつなぐ独自の記号へと変容を遂げてきました。
 ラッパの音は、御柱の重みや曳き手の息遣い、現地の空気感とともに鳴り響くことで、その場限りの緊張と高揚を生み出します。諏訪の御柱祭におけるラッパ吹奏は、過去から現在、そして未来へと受け継がれていく共同体の文化そのものと言えるでしょう。


HIRAIDE HISASHI


【日本のラッパの起源と進化】シリーズ 1〜30

日本のラッパの起源と進化】 - その1
 
― フランス軍事顧問団とギュティグの役割 ―
日本のラッパの起源と進化】 - その2
 
― 二度来日したラッパ伍長ギュティグ ―
日本のラッパの起源と進化】 - その3
 
― 喇叭譜号 全 (一般信号) ―
日本のラッパの起源と進化】 - その4
 
― 喇叭譜号 全 (運動合図信号) ―
日本のラッパの起源と進化】 - その5
 ― 喇叭譜号 全 (三重奏と部隊信号) ―
日本のラッパの起源と進化】- その6
 
― 『英国歩兵練法』慶応2年の喇叭合圖 ―
日本のラッパの起源と進化】- その7
 ― 『英国歩兵練法』とフェントン ―
日本のラッパの起源と進化】- その7 - 2
 
― 『英国歩兵練法』とフェントン (改訂版) ―
日本のラッパの起源と進化】- その8
 ― 『英国尾栓銃練兵新式』と『英国銃隊練法』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その9
 
― 『旭川と佐呂間でラッパ隊を聞く』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その10
 
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その1 ―
日本のラッパの起源と進化】- その11
 
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その2 ―
日本のラッパの起源と進化】- その12
 ― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その3 ―
日本のラッパの起源と進化】- その13
 
― 『諸外国の「食事ラッパ譜」』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その14
 
― 『日本の「食事ラッパ譜」』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その15
 
― 『駆歩行進』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その16
 ― 『北海道のラッパ』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その17
 ― 『浜松まつりのラッパ』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その18
 ― 『おかえり祭りは二種類ラッパが交互に響く』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その19
 ― 『美川で最初に吹き鳴らされたラッパ譜』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その20
 ― 『音商標への登録』 ―
日本のラッパの起源と進化】- 番外編
 ― 『ビューグル』 ― 《BandLifeWorld版》
日本のラッパの起源と進化】- その21
 ― 偕行文庫の『陸海軍喇叭譜』―
日本のラッパの起源と進化】- 番外編
 ― 『ビューグル─音が伝えるもの、形が残すもの』 ―
日本のラッパの起源と進化】- その22
 ― 『イタリア・トリノの消灯ラッパ』―
日本のラッパの起源と進化】- その22 改訂版
 ― 『夜空のトランペットのルーツ』―
日本のラッパの起源と進化】- その23
 ― 『朝はラッパで始まる ― 起床ラッパ二百年の歴史 』―
日本のラッパの起源と進化】- その24
 ― 『いまさらですが「らっぱ」って何ですか』―
日本のラッパの起源と進化】- その25
 ― 『消えゆくラッパの響き ― 佐呂間消防団ラッパ隊の記録』―
日本のラッパの起源と進化】- その26
 ― 『ながのってすごいぞ/御柱』―
日本のラッパの起源と進化】- その27
 ― 『ながのってすごいぞ―消防:基礎編』―
日本のラッパの起源と進化】- その28
 ― 『ながのってすごいぞ―消防:応用編』―
日本のラッパの起源と進化】- その29
 ― 『戦後ラッパ譜の成立 ― 須摩洋朔と自衛隊音楽隊の出発』―
日本のラッパの起源と進化】- その30
 ― 『現代音楽作曲家のラッパ譜 ― 黛敏郎と自衛隊儀礼音楽』―
【日本のラッパの起源と進化】- その31
 ― 『(仮)日本のラッパ文化の構造』―

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