夜空のトランペットのルーツ
【日本のラッパの起源と進化】- その22 《改訂版》
シリーズ第22回では、イタリア軍の「消灯ラッパ」がチャイコフスキーやニニ・ロッソの楽曲の源流となったことを紹介しました。本稿では、その旋律がどのようにして名曲へと受け継がれていったのかを改めて整理し、全文を読みやすく再構成しました。これに伴い、表題も「夜空のトランペットのルーツ」へと一新してお届けします。
「夜空のトランペット」という昭和の大ヒット曲
トランペットの名曲といえば、「夜空のトランペット」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
この曲の原題はIl Silenzio/沈黙です。1965年にイタリアのトランペット奏者、 ニニ・ロッソ が演奏して世界的なヒットを記録した作品です。
日本では「夜空のトランペット」という邦題で親しまれ、レコード売り上げは、国内で100万枚以上、世界では、およそ1000万枚に達したとも伝えられています。
静かな夜空に溶けこむような、あの美しく哀愁漂うトランペットの旋律。しかしこの曲、もともとは「軍隊のラッパ信号」から生まれたものなのです。
「トランペットの詩人」ニニ・ロッソ
ニニ・ロッソ(1926–1994)は、イタリアを代表するトランペット奏者で、「トランペットの詩人」とも称えられました。
彼はイタリア北部の都市トリノに生まれました。このトリノは、後に紹介する軍隊ラッパの歴史とも深く関わる都市でもあります。
1960年代、ニニ・ロッソは軍隊で使われていたラッパ信号をモチーフに《Il Silenzio》を作曲しました。この曲は世界中で人気を博し、日本にも1967年以降たびたび来日しています。
1972年のNHK紅白歌合戦では、歌手フランク永井のバックでトランペットを演奏するなど、日本のお茶の間でも広く親しまれました。
もとは軍隊の「消灯ラッパ」
ニニ・ロッソの《Il Silenzio》のもとになった旋律は、イタリア軍のラッパ信号 Il Silenzio d’Ordinanza です。直訳すると「規定の沈黙」という意味になります。
これはイタリア軍で使われていた消灯ラッパで、
・一日の活動が終わり
・夜の静粛の始まり
を知らせる合図でした。現在では、軍の追悼式などで演奏されることも多く、イタリアではよく知られた旋律です。

チャイコフスキーが聞いたラッパ
このラッパ信号は、19世紀のロシアの作曲家 チャイコフスキー の作品にも影響を与えています。
1879年、ローマに滞在していたチャイコフスキーは、宿泊していたホテルの隣にあるイタリア王立騎兵連隊の兵舎から、毎日聞こえてくる「消灯ラッパ」 を耳にしました。
この旋律に深く心を動かされた彼は、翌1880年に完成させた管弦楽曲《イタリア奇想曲》 の冒頭に、そのラッパのファンファーレ を取り入れました。軍隊の日常の音が、クラシック音楽の作品へと取り込まれた瞬間でした。


さらに古い歴史を辿ると
では、この兵舎から聞こえていた「消灯ラッパ」は、いつ生まれたのでしょうか。
その手がかりは、1859年に出版されたサルデーニャ王国の軍事規則書 に見出すことができます。
当時、イタリアはまだ統一されておらず、北イタリアには サルデーニャ王国 (首都トリノ) が存在していました。
この規則書には、軍隊で使用する様々なラッパ信号が掲載されていて、
その中にColpi del Silenzio(沈黙を告げる号音) という信号がありました。
旋律は現在の《Il Silenzio》とは多少異なりますが、これが後の消灯ラッパの原型になったと考えられます。
*1 13世紀から19世紀にわたり、地中海のサルデーニャ島や北イタリアのピエモンテ(トリノ)を統治した国家


時代を超えて響き続ける旋律
一つの短いラッパ信号が歩んできた道のりを振り返ると、この旋律の姿が見えてきます。
・19世紀
軍隊の「消灯ラッパ」として誕生(サルデーニャ王国・トリノ)
・1880年
チャイコフスキーが引用し、《イタリア奇想曲》として芸術音楽へ
・1965年
ニニ・ロッソが《Il Silenzio》としてポピュラー音楽へ
もともとは軍隊の生活を整えるための「合図」にすぎなかったラッパ信号。実はこの「夜の静粛を告げるラッパ」は、多くの国の軍隊に共通して存在する基本信号でもあります。その機能的旋律は、「軍営信号→ 芸術音楽 → ポピュラー音楽」と姿を変えながら、国境やジャンルを超えて世界中に広がっていきました。
私たちが今日耳にする「夜空のトランペット」の音色には、こうした150年以上にわたる長い歴史が重なっています。
静かな夜空に響くあのトランペットの旋律は、遠い19世紀の軍隊のラッパの音を、今もどこかに残しているのかもしれません。
【おまけ】
「夜空のトランペット」(Il Silenzioイル シレンツィオ )が、アメリカのTapsタップ(消灯) に由来する楽曲であるという誤解が見受けられます。しかし、これまで述べたように、これは明らかな誤認です。

【日本のラッパの起源と進化】- その22をご覧くだされば、より詳しく理解することができると思います。
追記
2025年3月16日追加記述
世代間で消えゆく「ニニ・ロッソ」の記憶
ある管楽器アンサンブルのメンバーに「ニニ・ロッソを知っていますか。」と尋ねる機会がありました。その結果、驚くべき事実が浮かび上がりました。
・プリンシパル・コルネット奏者(30代前半) : 知らない
・アシスタント・コルネット奏者(20代後半) : 知らない
(両名ともトランペット奏者を兼ねていますが、この世代では「ニニ・ロッソ」という名前すら知識にないのが珍しくないようです)
・ソプラノ コルネット奏者(40代前半か) : 「夜空のトランペット」を何度かソロで演奏した経験がある。
・バス トロンボーン奏者(50代前半か) : 知っている。
かつてトランペットの代名詞的存在だった「ニニ・ロッソ」やその代表曲「夜空のトランペット」も、現在の20代〜30代の若手奏者の間では、もはや「知らないのが常識」といえるほど記憶から遠ざかっているようです。私にとっては、
衝撃の事実でした。

HIRAIDE HISASHI
【日本のラッパの起源と進化】シリーズ 1〜30
【日本のラッパの起源と進化】 - その1
― フランス軍事顧問団とギュティグの役割 ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その2
― 二度来日したラッパ伍長ギュティグ ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その3
― 喇叭譜号 全 (一般信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その4
― 喇叭譜号 全 (運動合図信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】 - その5
― 喇叭譜号 全 (三重奏と部隊信号) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その6
― 『英国歩兵練法』慶応2年の喇叭合圖 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7
― 『英国歩兵練法』とフェントン ―
【日本のラッパの起源と進化】- その7 - 2
― 『英国歩兵練法』とフェントン (改訂版) ―
【日本のラッパの起源と進化】- その8
― 『英国尾栓銃練兵新式』と『英国銃隊練法』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その9
― 『旭川と佐呂間でラッパ隊を聞く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その10
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その1 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その11
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その2 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その12
― 『陸海軍喇叭譜 (1885)』その3 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その13
― 『諸外国の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その14
― 『日本の「食事ラッパ譜」』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その15
― 『駆歩行進』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その16
― 『北海道のラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その17
― 『浜松まつりのラッパ』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その18
― 『おかえり祭りは二種類ラッパが交互に響く』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その19
― 『美川で最初に吹き鳴らされたラッパ譜』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その20
― 『音商標への登録』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル』 ― 《BandLifeWorld版》
【日本のラッパの起源と進化】- その21
― 偕行文庫の『陸海軍喇叭譜』―
【日本のラッパの起源と進化】- 番外編
― 『ビューグル─音が伝えるもの、形が残すもの』 ―
【日本のラッパの起源と進化】- その22
― 『イタリア・トリノの消灯ラッパ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その22 【改訂版】
― 『夜空のトランペットのルーツ』―
【日本のラッパの起源と進化】- その23
― 『朝はラッパで始まる ― 起床ラッパ二百年の歴史 』―
【日本のラッパの起源と進化】- その24
― 『いまさらですが「らっぱ」って何ですか』―
【日本のラッパの起源と進化】- その25
― 『消えゆくラッパの響き ― 佐呂間消防団ラッパ隊の記録』―
【日本のラッパの起源と進化】- その26
― 『ながのってすごいぞ/御柱』―
【日本のラッパの起源と進化】- その27
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【日本のラッパの起源と進化】- その28
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【日本のラッパの起源と進化】- その29
― 『戦後ラッパ譜の成立 ― 須摩洋朔と自衛隊音楽隊の出発』―
【日本のラッパの起源と進化】- その30
― 『現代音楽作曲家のラッパ譜 ― 黛敏郎と自衛隊儀礼音楽』―
【日本のラッパの起源と進化】- その31
― 『(仮)日本のラッパ文化の構造』―
