第六十八回:インターネット上にある情報との関わり方
今日は2021年3月23日です。もう完全に冬は終わった雰囲気ですが、雨が降った日は、まだ少し肌寒いですね。我が家では(昨日、雨が降ったので)今日も元気にコタツ君が頑張ってくれています。そして私はコタツに入ってアイスを食べています。そんな与太話をしたところで今回もゆるく行ってみましょう。超不定期連載「分かりそう」で「分からない」でも「分かった」気になれるITコラムでございまぁす。このコーナーでは、各用語の説明ページでは取り上げにくいIT関連のネタをテーマに、だらだらと思いついたことを書いていきます。みなさんが「あぁ、なんか役に立ちそうな気もするけど、役に立たないかなぁ。でも、もしかしたら役に立つかも」と思える情報を発信できるように頑張ります!
はじめに
栄えある六十八回目のテーマは……ピヨピヨピヨピヨ(ぴよぴよ的ドラムロール)……じゃん!
インターネット上にある情報との関わり方
です。
今回のテーマは、ちょっとだけITと関係ありますね。
インターネットの世界には、とても多くの情報が転がっています。
みなさんも日々それらの情報を活用していることでしょう。
インターネット上にある情報は気軽に入手できます。
その反面、気を付けるべきことも多々あります。
そこで今回は、私がインターネット上にある情報と接する上で心がけていることを3つご紹介します。
なお、お忙しい人向けに先に結論を書いておくと
1.基本的に信用しない
2.書かれている情報そのもの以外にも目を向ける
3.「必要な情報」「必要かもしれない情報」「知りたい情報」を分ける
です。
最後まで読んでくださる方は、この結論を知らないことにして読み進めてください。
基本的に信用しない
私がインターネット上にある情報と接する上で心がけていることの1つ目は
基本的に信用しない
です。
理由は
内容の正しさが一切保証されていないから
です。
私は「情報の正確性」という点でインターネットの世界は無法地帯だと思っています。
「あっ、この情報を発信したいな」と思ったら、すぐに全世界に向けて発信できるのがインターネットの世界です。
その発信される内容をチェックする仕組みは、ありません。
有料だから信頼できるわけでもありません。
有料のインチキ情報商材も多々あります。
インターネットの世界では、いろいろな知識レベルの人がいろいろな目的で情報を発信しています。
それに伴い、間違った情報や古くなっていて役に立たない情報、悪意のあるウソ情報などが普通にゴロゴロ転がっています。
余談ですが、そのような状況に対して私は「それは良くない!何とかするべきだ!」とは思っていません。
誰でも好きに情報を発信できるのがインターネットの良いところです。
情報の正確性を検証する仕組みを作ったりするのも現実的な気がしません。
そのため「インターネットの世界って、そーゆーものだよね。自分の身は自分で守ろっと(--ゞ」と割り切っています。
だから私はインターネット上にあるすべての情報を「間違っているかもしれない情報」として扱います。
その上で
1.書いてあることを真に受け過ぎない
2.1つの物事に対して複数の情報源を当たる
3.検証できることは実際に試して検証する
などを実践して「この情報は信用しても良いかな?」を判断しています。
書かれている情報そのもの以外にも目を向ける
私がインターネット上にある情報と接する上で心がけていることの2つ目は
書かれている情報そのもの以外にも目を向ける
です。
理由は
その情報が信用できそうかを少しでも判断したいから
です。
前の節で
インターネット上にあるすべての情報を「間違っているかもしれない情報」として扱っているよ
的なことを書きました。
とはいえ、全く信用しなかったら情報源として使えません。
そこで、少しでも「その情報は信用できそうかな?」を判断するために、情報そのもの以外にも目を向けることにしています。
具体的には
1.誰が書いたか?
2.いつ書いたか?
3.どうして書いたか?
の3つです。
「1.誰が書いたか?」は分かりやすいですよね?
専門家が書いたのか、素人に毛が生えた程度の人が書いたのか、今現在もやっている人が書いたのか、過去にやったことがある人が書いたのか、あるいは実際にはやったことがない人が書いたのか、などなどなど、書いた人の素性によって、その情報を信用できそうかどうかの判断が変わってきます。
「2.いつ書いたか?」は技術情報とかだと特に大事です。
例えばコンピュータの世界は移り変わりが激しいです。
10年前の常識が今では非常識になっていたりもします。
書かれた時期が古いと内容が陳腐化していて役に立たない可能性が上がります。
「3.どうして書いたか?」は個人的に結構、重要視している部分です。
例えば、プログラミング関係の記事を書いたブログがあったとして、それを書いた理由が
1.自分の知識をみんなに教えたいから(自己満足 or 承認欲求を満たすため)
2.自分用のメモ書きとして(自分で見直すため)
3.自分が経営しているプログラミングスクールに誘導したいから(宣伝目的)
だったら、1の理由で書かれている情報が一番役に立ちそうな気がしませんか?
2は「自分が分かれば良い」で書かれている可能性が高いので、前提条件の説明が抜けていたり、記事を見てくれる人のことを考えないで書かれている可能性が高いでしょう。
3は「宣伝」という目的から逆算して書いているはずなので、意見が偏っている可能性が高いと推測できます。
その点、1なら(勉強が足りなくて情報が間違っている可能性はありますが)読んでくれる人に正しい情報を伝えることを意識して書かれているはずです。
そんな感じで「この情報は、どうして発信されたんだろう?」を考えると「その情報は信用できそうかな?」を判断する際の助けとなります。
上でも書きましたが、私は基本的にインターネット上の情報を信用していません。
そのため、書いてある情報以外の部分にも目を向けて「この内容は信用できそうかな?」を判断するようにしています。
「必要な情報」「必要かもしれない情報」「知りたい情報」を分ける
私がインターネット上にある情報と接する上で心がけていることの3つ目は
「必要な情報」「必要かもしれない情報」「知りたい情報」を分ける
です。
理由は
良くも悪くも、お手軽に情報を得られるから
です。
インターネットのお陰で、より多くの情報を、より短時間で得られるようになりました。
それはとても良いことですが、その弊害として
そこまで必要ではない情報も手に入れようとする機会が増えた
ような気がしています。
分かりやすいところでは「ネットサーフィン」と呼ばれるやつですね。
気になるリンクをポチポチ押しながら、無目的にインターネット上を徘徊する行為です。
ネットサーフィンで得ている情報は「必要」か「必要でない」かで言えば「必要でない」場合が多いでしょう。
それなのに見てしまう理由は「知りたい」からです。
「おっ、面白そうだな?」とか「おっ、気になるな」とかの理由でリンクをポチポチ押してしまいます。
これは「安くてお買い得だからそこまで必要ではない(けど欲しい)物をガンガン買う行為」に似ていると私は思っています。
いくら安くても、物を買えばお金は減ります。
同じように、いくらお手軽に手に入っても、情報を得る行為をすれば時間は減るのです。
そこで私は、これから得ようとしている情報が
1.必要な情報
2.今は必要ないけど将来的に必要になるかもしれない情報
3.知らなくても困らないけど興味があるから知りたい情報
のどれに該当するかを意識しています。
1であれば問題ありません。
さっさと情報をゲットします。
2は少し考えどころです。
時間に余裕があればゲットしておきたいところですが、他にやることがあったりして時間に余裕がなければ諦めます。
3は注意が必要です。
私は、3に該当する情報をゲットする行為を「娯楽」と割り切ることにしています。
テレビを見たり、週刊誌を読んだりするのと同じレベルの扱いです。
気軽に情報を得られるからこそ「情報を得ない」という選択を大事に考えています。
まとめ
今回は
インターネット上にある情報との関わり方
というテーマで好き勝手に語ってみました。
私はインターネット上にある情報に対して
1.基本的に信用しない
2.書かれている情報そのもの以外にも目を向ける
3.「必要な情報」「必要かもしれない情報」「知りたい情報」を分ける
の3つを意識して接しています。
インターネット上の情報には内容の正しさを保証する仕組みがありません。
だから
基本的に信用しない
ことにしています。
とはいえ、全面的に信用しないのでは情報を活用できないので
書かれている情報そのもの以外にも目を向ける
ことで、その情報が信用できそうか判断する助けとしています。
また、インターネット上の情報は良くも悪くもお手軽にゲットできます。
だからこそ
3.「必要な情報」「必要かもしれない情報」「知りたい情報」を分ける
ことで「あまり必要じゃない情報を得ない」という選択をできるように意識しています。
どんな情報でも得るときには時間を消費しますからね。
蛇足なおまけ
ちょっとだけゲスい話をします。
技術が進歩して、インターネット上で情報発信する際のハードルが下がりました。
それに伴い、インターネット上で情報を発信する人が増えました。
その結果、たいして価値のない情報がインターネット上に増え、ノイズが多くなったことにより、以前よりも欲しい情報に辿り着くのが難しくなっています。
「Googleの検索結果が昔と比べて役に立たなくなった!」のような意見も増えていますよね。
個人的には、このような状況を嘆いて……いません。
むしろ「いえーい!\(≧▽≦)/」と思っています。
あまり大きな声では言えませんけどね。
理由は
正しい情報に辿り着くのが難しくなっているから
です。
これは見方を変えれば
正しい情報に辿り着くことの価値が上がっている
と言えます。
例えば「1+1」の答えが知りたくてGoogle検索したとしましょう。
検索結果の最初の方に「1+1の答えは2です」と出てきたら、誰でも簡単に「1+1の答えは2だな」と知ることができます。
この状況では「1+1の答えは2」と知っていることの価値は高くないでしょう。
その気になれば、誰でも簡単に「1+1の答えは2だな」と知れちゃいますからね。
これが、もし検索結果の最初の方に出てくる情報が「1+1の現在は?年齢は?彼氏はいるの?調べてみましたが分かりませんでした。いかがでしたか」のような情報ばかりになったら、どうでしょう。
そうです。
以前に比べて「1+1の答えは2」と知っていることの価値が上がります。
検索するのが下手くそな人は「1+1の答えは2です」と書かれている正しい情報に辿り着くのが難しいからです。
確かに、以前に比べてGoogleさんの検索結果がイマイチになった気はします。
いわゆる「検索結果が汚染されている」という状況も増えているのでしょう。
でもね。
だからこそ、正しい情報に辿り着く力の価値は上がっています。
個人的には
検索する力(正しい情報に辿り着く力)を磨くことで周りに差をつけられる時代が再びやってきたんじゃないかな?(-∀-)
と思っています。
気が向いた方は、玉石混交な大量の情報の中から「玉」を選び出す方法を自分なりに考えてみてください。
自分なりの方法論が確立できて、ある程度「玉」を選び出せるようになると、インターネット上にゴミ情報が増えたり、Googleの検索結果がヘボくなることが、むしろ歓迎できるようになります。
玉石混交の「石」が増えれば増えるほど、あなたが辿り着ける「玉」(正しい情報)に辿り着けない人が増えるわけですからね(-∀-)ぐへへ
以上、ちょっとだけゲスい話でした。
Googleの検索結果に表示される内容やインターネット上に発信される情報の質は私たちではコントロールできません。
これから先もインターネットを使って調べ物をするのであれば、自分の検索力を磨くことに力を入れた方がお得だと思いますよ。
思いつきで始めて惰性で続けている「分かりそう」で「分からない」でも「分かった」気になれるITコラムですが、いかがでしたでしょうか。また何かネタがあったら、ちまちまと更新していきます。コンゴトモヨロシク。






