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本能寺の変1582 【四国問題】 250720 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【四国問題】関連史料 年代順   250720

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→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
 4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
 3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】 【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正 250720

永禄六年1563

【重史122】 第143話 石谷頼辰・光政       永禄06 1563005**
  光源院殿御代、当参衆、並びに、足軽衆以下覚え、
                    「永禄六年諸役人附」前半部分

永禄十二年1569

【重史125】 そ第11話㊴ 石谷頼辰        永禄12 156900713
  ①奉公衆、石谷兵部少輔、牢人、
  ②小笠原又六、下向、四里北に居らるゝのところへ、
  ③杉原与七郎、近所に於いて、生害なり、
                            「言継卿記」

天正三年1575

【重史182】                 公 天正03 157500406
  ①四月六日、信長、京都より直ちに南方へ御馬を出だされ、
  ②四月八日、三好笑岩(康長)楯籠る高屋へ取り懸け、
  ③四月十四日、大坂へ取り寄り、作毛を悉く薙ぎ捨て、
  ④御人数、十万余騎のつもりなり。
  ⑤都鄙の貴賤、皆耳目を驚かすばかりなり。
                            『信長公記』

【重史183】                 ✓ 天正03 157500412
  ①同卯月十二日朝、友閑 長谷川宗仁
  ②一、小長板ニふとん・しがらき、二ツ置く、
                          「天王寺屋会記」

【重史184】                 公 天正03 157500419
  ①高屋に楯籠る三好笑岩、
  ②友閑を以て、御侘言(わびごと)、御赦免候ひしなり。
                            『信長公記』

天正六年1578

【重史179】                  ✓ 天正06 157801026
  ①惟任日向守に対する書状、披見せしめ候、
  ②阿州面(おもて)に在陣、尤(もっと)もに候、
  ③次に、字(あざな)の儀、信を遣はし候、
  ④即ち、信親、然るべく候、
                          「土佐国蠧簡集」

【重史180】                  ✓ 天正06 157801026
  ①御奏者は、明智殿なり、
  ②明智殿御内、齋藤内蔵助は、元親卿には小舅になるなり、
  ③則ち、信と云う御字を給わる、
  ④これに依り、信親と云しなり、
  ⑤此の由緒を以って、
  ⑥四国の儀は、元親、手柄次第に、切り取り候へと、
  ⑦御朱印頂戴したり、
                             「元親記」

天正八年1580

【重史152】 そ第11⑩01           ✓ 天正08 158000612
  ①三好式部少輔の事、此方(こなた)に別心なく候、
  ②猶、三好山城守(康長)、申すべく候也、
                  「古証文」「織田信長文書の研究」

【重史153】 そ第11⑩01           ✓ 天正08 158000614
  ①爾来(じらい=以来)、申し承らず候、
  ②仍って、阿刕(あしゅう=阿州)表の儀に就きて、
  ③信長より、朱印を以って、申され候、
                  「古証文」「織田信長文書の研究」

【重史154】 そ第11⑩01           公 天正08 158000626
  ①土佐国補佐せしめ候長宗我部土佐守、
  ②惟任日向守、執奏にて、
  ③御鷹十六聯、幷(ならび)に砂糖三千斤、進上。
                            『信長公記』

天正九年1581

【重史181】                   天正09 1581*****
  ①元親儀を、信長卿へ、或る人、さゝへ(妨害)申す、
  ②連々、天下のあだにも罷り成るべし、
  ③信長卿、御朱印の面、御違却有りて、
  ④予州・讃州、上表申し、
  ⑤阿波南郡半国、本国に相添え遣はさるべし
                             「元親記」

【重史178】                  公 天正09 158101117
  ①羽柴筑前・池田勝九郎両人、淡路島へ人数打ち越し、
  ②姫路に至りて、羽柴筑前守、帰陣。
  ③淡路島、物主(ものぬし)、未だ仰せつけられず候なり、
                            『信長公記』

天正十年1582

【重史174】                  ✓ 天正10 158200111
  ①空然(石谷光政) 人々御中
  ②尚々、御朱印の趣も、元親御ため、然るべく候、
  ③始末、然るべく様に、万事、御異見、尤もに、存じ候、
                           「石谷家文書」

【重史047】                 公 天正10 158200209
  ①二月九日、信長公、信濃国に至りて御動座なさるべきについて、
  ②三好山城守、四国へ出陣すべきの事。
  ③惟任日向守、出陣の用意すべき事。
                            『信長公記』

【重史034】 ◎第65話
  三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れられ、御動座。
                            『信長公記』

【重史035】 そ第78話③
  四月廿一日、安土に御帰陣。
                            『信長公記』

【重史036】 そ第78話③
  ①中国進発の事、来秋たるべきの処、
  ②重ねて、一左右次第、出勢すべく候、
  ③猶、惟任日向守、申すべく候也、
                           「細川家文書」

【重史012】 ◎第58話②           ✓ 天正10 158200507
  ①今度、四国に至って差し下すに就きての条々、
  ②讃岐国の儀、一円、其方に申し付くべき事、
  ③阿波国の儀、一円、三好山城守 (康長) に申し付くべき事、
  ④信長、淡州に至って出馬の刻、申し出すべきの事、
                       「寺尾菊子氏所蔵文書」

【重史040】 そ第78話⑥
  ①その盛大な招宴の接待役を彼(光秀)に下命した。
  ②これらの催し事の準備について、
  ③信長は、ある密室において、明智と語っていた
  ④反対意見を言われることに堪えられない性質であったので、
  ⑤信長は、立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、明智を足蹴にした
                             『日本史』

【重史041】 そ第78話⑥
  ①明智は、何らかの根拠フンダメントを作ろうと欲した
  ②過度の利欲と野心が募りに募り、
  ③それが天下の主になることを、彼に望ませるまでになった
  ④企てた陰謀を果たす適当な時期を、ひたすら窺っていた
                             『日本史』

【重史042】 そ第78話⑧           ✓ 天正10 158200521
  ①尚々、頼辰へ、残らず申し達し候上は、
  ②今度、御請け、兎角、今に到り、延引候段、
  ③▢御朱印に応じ、此の如き次第を以って、
  ④不慮、成し下し候はん事、了簡に及ばず候、
  ⑤海部・大西*両城の儀は、相、抱え候はて叶わず候、
  ⑥是れは、阿・讃競望のためには、一向にあらず候、
  ⑦東州、平均に属し奉り、御馬を納められ、
  ⑧何事も何事も、頼辰、仰せ談じらるべく候、
                           「石谷家文書」

     現在進行中!!



 ⇒ 次へつづく

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