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本能寺の変1582 【光秀という男】 目次 4/7 №6-024 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【光秀という男】 目次 4/7     №6-024

はじめに ←目次 【記事一覧】 
【五大要因】
 
1時代の風潮 2二人の個性 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断  
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
 【四国問題】    目次 【四国問題 概要】   十
 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
 【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
 【信長という男】 目次
 1/5  2/5  3/5  4/5  5/5  結論  【重史146】
 【光秀という男】 目次
 1/7 目  2/7 目  3/7 目  4/7 目  5/7 目  6/7 目  7/7 目  結論 目 
 【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】
 【時は今・・・】 目次
 0521 目 0526  0527  0528 目 0529
重要 ◎目次 
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 3光秀と光慶  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】
 【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正

【光秀という男】 目次 4/7             №6-024

【光秀という男】 目次

4/7 目 

⑦光秀は、新参者。                    『日本史』
 信長とともにあった十五年。
⑧織田家中では、特異な存在だった。            『日本史』
⑨光秀は、出来る男。                   『日本史』
 キレ者である。→④⑲~㉒㉔
 洞察力に優れていた。
 信長の心の内を読み取ることが出来た。
 「打てば響く」
 信長の性格・気性を知りつくしていた。

 光秀は、忠義心が希薄な人物だった。
 度々、主君を替えている。
 土岐氏→牢人→藤孝→義昭→信長

 そして、最終的には、・・・・・。
 その信長をも、裏切った。
 それが、天正十年1582六月二日、「本能寺の変」。

 光秀は、自立心が強かった。
 裏を返せば、そういうことになる。

 このこともまた、「本能寺の変」の一因となった。
 すなわち、光秀の人物像(性格)に関わる部分。
 要注意!!



 ⇒ 次へつづく




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