本能寺の変1582 4月21日 №6-139 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
4月21日 №6-139
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男
3光秀と光慶 1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
4先祖の教訓
5大量殺戮
6信長の弱点
←3 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2志向の相違
3光秀の老い
4四国問題
5自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日 24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3 11日
3 足蹴事件 概略 5月12日 1/5 2/5 3/5 4/5 5/5 15日
密室にて 1/3 2/3 3/3 ① ② ③ ④ ⑤
4 中国出陣
5 時は今、・・・・・。
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
←【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
4月21日 №6-139
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信長は、安土に凱旋した。 →【四国問題】 天正十年 目次
途中、各所で、大勢の家臣らの出迎えをうけた。
以下、①~⑥。
四月廿一日、濃州岐阜より安土へ御帰陣のところに、
①ろくの渡りにて、御座船飾り、稲葉伊予(良通)、一献進上なり。
②捶井(垂井)に御屋形立ておき、こぼう殿(織田信房)、一献御進上候
なり。
③今洲(今須)に御茶屋立てて、不破彦三(直光)、一献進上候なり。
④柏原に御茶屋拵らへ、菅屋九右衛門(長頼)、一献進上なり。
⑤佐和山に御茶屋立て、惟住五郎左衛門(丹羽長秀)、一献進上。
⑥山崎に御茶屋立ておき(滋賀県彦根市里根町)、山崎源太左衛門(秀家)、
一献進上候なり。
「御威光有りがたき御代なり」
信長の勢威・威光は、頂点に達していた。
今度、京都・堺・五畿内、隣国の各(おのおの)、はるばる罷り下り、
御陣御見舞の面々、門前市をなす事に候。
路次中、色々進物、員(かず)を知らず上覧に備へ、
誠に、御威光有りがたき御代なり。
四月廿一日、安土に御帰陣。
【重史035】(『信長公記』)
【参照】【 重史 034】 三月五日、出陣。
雲上を歩むが如し。
心地がいい。
勝利の余韻が、まだ、尾を引いていた。
安土城は、新緑の中に聳え立つ。
【参照】
【時は今・・・】 目次
0521 目 0526 目 0527 目 0528 目 0529 目
本能寺への道 1 2 3 4 5
本能寺への道1
そ第78話① 性格・人格・人間性の形成
そ第78話② そのような時代
そ第78話③ 四月二十一日 同二十四日
そ第78話④ 事態急変 五月七日
そ第78話⑤ 同十五日
そ第78話⑥ 「足蹴事件」
本能寺への道2
そ第78話⑦ 秀吉は備中に 同十七日
そ第78話⑧ 石谷頼辰は土佐に 同二十一日
そ第78話⑨ 土佐は僻遠の彼方 所要時間
本能寺への道3
そ第78話⑩ 同二十六日
そ第78話⑪ 分岐点 選択肢は二つ
そ第78話⑫ 同二十七日
本能寺への道4
そ第78話⑬ 同二十八日
そ第78話⑭ 同二十九日 上洛
そ第78話⑮ 同日 亀山 二人揃った
本能寺への道5
そ第78話⑯ 六月一日 出陣
そ第78話⑰ 同日 公家参集
そ第78話⑱ 同日、夜
光秀は、決断した。
【四国問題】
天正八年 天正九年 天正十年 目次
【四国問題 概要】
天正八年 天正九年 天正十年
←重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次
←テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
←その一因 目次大 概説大 目次中
←3光秀と光慶
(1)光秀の素性
(2)光秀の年齢
(3)光秀の嫡男
←見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
←【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
←【ここがポイント!!】
只今、進行中!!
⇒ 次へつづく
