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本能寺の変1582 【ここがポイント!!】 250618 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【ここがポイント!!】      250618

はじめに ←目次 ←   
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→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
 4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【重要史料】  【重史一覧】
【人物】 【信長の人物像】 6 7 8 9 10
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正 250616 250618 

【ここがポイント!!】               250618

 「本能寺の変」
 その原因・理由の一つが、ここにあった。

ポ01 信長は、油断していた。 

 『日本史』『信長公記』「小畠文書」「続群書類従」

 信長は、典型的な戦国武将。                →信02
 「力こそ正義」
 軍事力の強化に、余念がなかった。
        →【重史146】 【重史163】 【重史165】 【重史168】

 信長は、決して、「隙」を見せぬ男。
 それ故、ここまで生きながらえた。

 あろうことか、
 その信長が、光秀に、背中を見せた。          →そ第78話⑫

 のみならず、
 嫡男 信忠までもが、京にいる。            →【 重史 028】

 これすなわち、信長の「油断」。           →【 重史 033】
 「天下布武」=「日本統一」は、目前にあった。
 前を見れば、後ろは見えず。             →【重史021】
 「魔が差した」、という他ない。

 光秀は、この時を待っていた。     →【重史031】 【 重史 005 】
 正に、天祐。
 千載一遇の好機。
 光秀は、躊躇せず。                 →【重史016】
 決断した。

ポ02① 信長は、口答えする家臣を決して赦さない。

 『日本史』『信長公記』「多聞院日記」「石谷家文書」
 「成簣堂文庫所蔵文書」

 信長は、誇り高い男。                    →信03
 正義感が強い。
 「名誉心に富み、正義において厳格であった」     →【重史146】

 信長は、疑い深く、用心深い。
 「余多の伽藍、一宇も残さず」            →【重史163】
 「渡して後、やく(焼)る様に用意しけるか」

 信長は、忍耐強く、我慢強い。
 信長は、執念深く、粘り強い。

 信長は、根に持つタイプ。
 後で、必ず、蒸し返す。
 「先年、朝倉破軍の刻」               →【重史167】
 信長は、これを、粛清の口実とした。

 信長は、絶対専制君主。               →【重史146】
 己が、天下の支配者であることを強く意識していた。  →【重史172】
 その自負がある。
 「天下の儀、何様にも、信長に任せ置かるのゝ上は」   →【重史171】
 
 信長は、「命」に背く者・逆らう者には、容赦しない。
 己の命」を覆すことなど、有り得ぬことなのである。
 「抑(そもそ)も、天下を申しつくる信長に」       →【重史172】
 「口答申す輩(ともがら)、前代に始り候条」

 信長は、己に口答えする家臣を、決して、赦さない。  →【重史172】

 佐久間信盛を見よ。
 「時にあたつて、信長、面目を失ふ」         →【重史167】
 その一言が、命取りとなった。
 「譜代の下人に見捨てられ、かちはだしにて」     →【重史172】
 信盛は、十津川の湯で、死んだ。           →【重史173】
 
これが、織田家筆頭家老の成れの果て。
 哀れな死に様だった。

 光秀は、信盛の死を、奈良で知った。         →【重史173】
 この時のことが、光秀の脳裏に、こびり付いている。
 

 光秀は、信長の性格・気性等を知り尽くしていた。   →【重史172】
 信長には、
 「逆」らっては、ならぬ。
 「口答え」など、以ての外。
 なの、である。
 光秀は、そのことを、他の、誰よりも、よく知っていた。

 その筈だった・・・・・。

 だが、・・・・・。

ポ02② 光秀は、どうにもならぬ状況に陥っていた。

 「石谷家文書」『信長公記』「寺尾菊子氏所蔵文書」「古証文」
 「武家事紀」「織田信長文書の研究」

 光秀は、追い詰められていた。
 「四国問題」                →光秀と長宗我部元親
 土佐は、僻遠の彼方。         →本能寺への道 そ第78話⑨
 このことが、光秀を苦しめた。
 「石谷頼辰、未だ帰らず」              →【重史042】
 どうにもならぬ状況に、陥っていた。

 天正十年1582、四月二十一日。
 甲斐征伐が、終わった。                →そ第78話③
 信長は、安土に帰陣した。              →【重史035】

 暫し、平穏、・・・・・。

 ここで、事態が急変した。               →そ第78話④
 
場面は、一転。
 東から、西へ。
 信長は、再び、動き出した。

 ここから、である。
 時代の流れが、急激に、加速し始めた。

 光秀は、これに、翻弄された。

 同、五月七日。
 信長は、四国出陣命令を発した。            →そ第78話④
 総大将は、三男信孝。                →【重史012】
 二十五歳。

 光秀は、狼狽えた。
 これまでの苦労は、水の泡。
 これでは、一体、何のための交渉だったのか・・・・・。

 否、そればかりでは、なかった。

 信長は、忍耐強い。                     →信10
 天正八年1580以来である。      →【重史152】 【重史153】
 斯くして、長宗我部元親と光秀との交渉が始まった。
 信長は、光秀に、十分な時間を与えていた。
 信長は、待った。
 なれど、・・・・・。 

 信長は、痺れを切らした。
 「遅い」、ということ。
 そして、西国攻めをスタートさせた。
 その始まりが、四国出陣命令。
 「見切り発車」、である。
 
 光秀の交渉は、失敗した。
 これが、光秀に対する信長の評価。
 この時点では、そういうことになる。
 結果、光秀は、四国問題から、外された。
 光秀にとって、
 否、明智にとって、
 由々しき問題・・・・・。
 石谷頼辰は、間もなく、帰って来る。
 光秀は、「吉報」を待っていた。

 信長の背景にあるのは、大きな自信。
 これすなわち、[武田効果]。
 武田の滅亡。                    →【重史170】 「勝頼の首」                     →【重史170】

 これには、信長自身も、驚いた。     →【重史018】 【重史019】
 それ程までに、強烈なインパクトだった、ということである。
 光秀も、驚いた。
 日本全国の大小名たちも、皆、驚いた。

 「あの武田」が・・・・・、なのである。

 信長の勢威は、頂点に達していた。
 正に、「天を衝く勢い」。
 最早、この国に、対抗し得る勢力など、存在しない。
 「天下布武」=「日本統一」は、近い。

 この様な状況の中で、「四国出陣命令」が出されたのである。 

ポ02③

 



 ポ03

 ポ04

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 ポ07

 ポ08

 ポ09

 ポ10


 只今、進行中!!



 ⇒ 次へつづく


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