#嫉妬祭り noteフィードバックには想いがある、愛がある、メソッドがある
4/1追記:
すべてのフィードバック希望に返信しました。もし漏れてる方がいらっしゃったら。すいませんがコメント欄で教えてください。よろしくおねがいします。たくさんの参加、感謝です。後夜祭noteお楽しみに!
3/22追記:
おかげさまで #嫉妬祭り フィードバック希望は20件を超える勢いでこの2日は急増してます。ご参加ありがとうございます。がしかーし!私ポンコツなので漏れありますごめん。もしもUPから48時間経ってもフィードバックが無い場合はコメ欄にご連絡ください。ごめんなさい。よろしくお願いします。
スマホをスクロールする親指は疲れても読むのは楽しいです。素晴らしい文章との出会いは、良い本との出会ったときめきに似ているからだと思います。「こんな風に書けたらいいのに」という嫉妬と「でももっとカタルシスが生まれるだろう」という文章愛が混ざった感覚かもしれません。
それは、フォロー数やいいね数という数字なんかでは測れません。書き手は書くことでしか幸せになれません。そして読み手は、その言葉を受け止めることで本当の意味の「読み手」になれると思うのです。そんな今回の #嫉妬祭り の想いや背景を書き残して置こうとおもいました。
私のフィードバック・スキルは、雑誌記事を書いてるからじゃないです。何千本もの作品をフィードバックしてきたから。
だから今日もあなたの文章の行間に潜む宝物を探すのでしょう。フィードバックという名の愛の底にある「何か」をシェアできれば嬉しいです。伝わる人に伝わりますように。
※このnoteは #嫉妬祭り に参加されてる方、これから参加しようと思っている方、参加を迷ってる方へ書いています。
池松潤/Jun Ikematsu
コミュニケーションデザイン/事業計画/エクイティストーリー/エンタープライズ営業コンテンツ/マーケティング/コンテンツなど。スタートアップCEOの壁打ち相手。慶応義塾大学卒/博報堂を経てスタートアップの若手と世代間常識を埋める現役58歳。ときどき婦人公論.jpにコラムなど。 ⇒ https://lit.link/junikematsu
1:フィードバックの心構え的なこと
ちょっと生意気ですけど、最初にシェアしたいのは「良い文章」と「読まれる文章」と「優れた文章」は違います。ってことです。
「良い文章」は読む人の数だけあります。
「読まれる文章」はシェアされる数だけあります。
「優れた文章」は読み手の心を揺さぶり行動が変わる数だけあります。
優れた文章は読み手の心を動かし、その行動が変わるほど影響を与えます。これはバズるとは別の次元だと思ってます。素敵な印象深い披露宴とかお葬式のメッセージみたいなものでしょうか。卒業式の式辞にもありますね。感動して涙するのが。
しかし、書き手がその文章を書き上げる過程には、じつは鋭い視点を持った伴走者の存在が欠かせません。書き手は優れた読み手によって成長できます。
だからnoteフィードバックは単なる「いいね」とかじゃなくて、「文章」と「書き手」の可能性を最大限に引き出す行為だと思ってます。なんか大袈裟かもしれないけど。
文章とは口にする食べ物みたいなものです。美味しくて身体にいい文章もあれば、身体に悪そうだけど食べたい文章もあります。でもアサリに砂が混じってるとジャリ!として「ぅぅ」ってなるのと似ていて、砂の入った文章は読むとジャリ!とした感覚になります。あまり心地よいものではありません。
だから「文章は脳に大事な食べ物」だと思ってます。
2:文章を読むのではない。行間を読む。
優れたフィードバックは「表面的な文章」を追うことではありません。
真の理解は行間に宿ります。
書き手が直接書いていない感情、意図、葛藤。これらを感じ取ることで初めてその文章の本質に触れることができるからです。
「この文章で何を伝えたかったのか?」ではなく、「なぜそれを伝えたかったのか?」を読み解くこと。
行間には、風通しのよい行間もあれば、分かり易いけど行間が狭い文章もあります。例えていうなら北野武監督の映画作品を思い浮かべてください。
北野作品の悲しいシーンで、いちいち「私はいま悲しい」なんてセリフは言いません。表情や背中や仕草で「悲しい」か「哀しい」かを表現します。
だから文章は、行間に「表情」や「機微」を感じさせるもの。
なので、行間を読み解く努力をしています。そこには「書き手自身」も気づいていない「宝物」が隠されていることがあるからです。
3:書き手の「書いてる気持ち」を汲み取る
文章を書く。作品を書く。記事を書く。とは、自分の内側から「何か」を取り出して、それを形にする勇気ある行為だと思っています。そこに有名も無名もありません。
文章の背後には、書き手の情熱、不安、希望、そして覚悟があるからです。
良いフィードバックとは、「なぜこの人はこの作品を書かずにはいられなかったのか?」という問いに寄り添うことです。
言葉の選び方、文章の構成、テーマの設定・それらすべてに書き手の想いや、ソウル(魂)の痕跡があることを忘れてはなりません。
文章の行間の底流に流れる微かな音を感じることが、「書いてる気持ち」を汲み取ることだと信じています。
4:短く。鋭く。丁寧にフィードバックする。
フィードバックには三つの要素があります。
「短さ」
相手の時間や気持ちを尊重し、本質を伝えるスキル。
「鋭さ」
その文章の核心に迫る洞察力。
「優しさ」
書き手の大事なものを守りながら、より文章への愛や温かさをシェアする器。
文章愛があれば、それは指摘ではなく、書き手の養分となり、文章を生み出す力になります。逆に、曖昧で遠慮がちなコメントは、じつは書き手を尊重していないことの表れではないでしょうか。緩さとは違うのです。
そして、そこにメソッドが必要になります。編集者視点と言ってもいいかもしれません。それは下記に繋がります。もう少しお付き合いください。
5:そもそもスキで読むのと、ミッションで読むのは違う
単にスキだから読むのと、そこにミッションがあって読むのは違います。これはお金を貰うのとも違います。
そこにメソッドがあるか。だと思います。
メソッドとは、目的を達成するための手順や方法、方式、筋道などを意味する言葉です。
noteフォードバックを希望された方には、それぞれの書くことへの背景や、想いがあります。それは書き手の数だけあります。
もしフィードバックのメソッドを情緒的に表現するならこんな感じです。
「分かりそう」で「ワカラナイ」だけど「解った」気持ちになれるフィードバック。
文章に限らず、人生のほとんどの場合の「ワカラナイ」は、「何がワカラナイ?」が「ワカラナイ」状態だからです。ここにフィードバックの要諦があります。
私のnoteフィードバック・スキルは、雑誌記事を書いてるからではなく、編集経験からではなく、何千本ものnoteにフィードバックしてきたからだと思ってます。フィードバックの筋トレ量は、株式会社noteの人より多いと思ってます。note創作大賞に、このような努力の痕跡は感じられません。じつに時間がかかる労力だからです。
あと。これは「壁打ち相手」と「編集者視点」は違うとも言えます。
壁打ち相手とは、書き手の外形的な部分へのアドバイスや、示唆を返すことです。しかし真のフィードバックは、書き手自身も気づいていない、その文章の可能性を見出すことだと思っています。
あえて言えば。編集者の視点とは、文章全体を見渡して、一つひとつの言葉がどのように全体に貢献しているか見極める力のことです。それは時に書き手が意図していなかった新たな道筋を示す「灯り」を照らすことでもあります。これは文章愛とメソッドをもって伴走しないと分からない感覚かもしれません。
なんか偉そうに書きましたが、noteは始めるのは誰でもできるのですが(それも大変なのは知ってます)書き続けるのが最も難しいツールです。それを9年書き続けてきたから良く知ってます。書き続けた方がイイことが起こる確立は高まるし、たぶん書き手の書いた冥利に尽きるからでしょう。
文章を通じて、そして斉藤ナミさんの新連載お祝いの推しを通じて、「何か」を分かちあえたら嬉しいです。
#嫉妬祭り
いろいろ書きましたが、楽しく書く文章がいちばんです。
皆さんと一緒にワイワイしましょー
斉藤ナミさん新連載記事はこちら

#嫉妬祭り フィードバック希望にレスしたnote
生意気ながらフィードバックさせて頂きました。それぞれのnoteのコメント欄を見て頂ければどんなフィードバックかご理解頂けるかとおもいます。皆さんも一緒にワイワイしましょ(^o^)
※総計:46本(3/30現在)
しょうこさん。フィードバックの感想noteありがとうございます。感謝です
※逐次フィードバックしたnoteは追加していきます
※フィードバックの感想noteやXポストもお待ちしてます
皆さんと「何か」を分かち合えれば嬉しいです!
https://note.com/naritasan52/n/n5b140d99182c
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チップありがとうございます!
よい日をお過ごしください。