見出し画像

本能寺の変1582 【重要史料13】 241~260 №6-216 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【重要史料13】 241~260 №6-216

はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】 
【五大要因】  
1 時代の風潮
 
 1戦国時代=相互不信の時代
  2美濃
  3尾張
2 光秀の実像
 
 1信長という男
  2光秀という男
  3光秀と光慶  1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
  4先祖の教訓
  5大量殺戮
  6信長の弱点
3 光秀の苦悩
 
 1粛清の怖れ
  2志向の相違
  3光秀の老い
  4四国問題
  5自立への道
4 武田の滅亡
 
 1甲斐遠征
  2勝頼の首
  3武田効果
5 信長の油断 大要 概略
  
「事態急変」
  1 勝利の余韻 概略  4月21日
              4月24日
  2 四国出陣  概略  5月7日 1/3 2/3 3/3
              5月11日
  3 足蹴事件 概略 5月12日  1/5  2/5  3/5  4/5
                     5/5
            5月15日
            密室にて   1/3  2/3  3/3
                         ④ 概
                     ⑤ 概
  4 中国出陣 大 概略 備中高松城 大 概
              5月17日
            坂本にて        
                     4  ② ③ 5 6 
              5月19日 大 概
              5月20日 大 概
              5月21日 大 概
  5 時は今、・・・・・。
              5月26日 大 概
              5月27日 大 概
              5月28日 大 概
              5月29日 大 概
さる程に、不慮の題目出来候て、
【注目ポイント】 目次
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】 【重史一覧全通】
【人物】
←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
【四国問題】    目次 【四国問題 概要】   十
【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正

【重要史料13】 241~260 №6-216

【重史241】
  
①信長の宮廷に惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。
  ②彼(光秀)はもとより高貴の出ではなく、
  ③信長の治世の初期には、
   公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していた
  ④その才略、深慮、狡猾さにより、
  ⑤信長の寵愛を受けることとなり、
  ⑥主君とその恩恵を利することをわきまえていた。
  ⑦殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、
  ⑧ほとんどすべての者から快く思われていなかった
  ⑨寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。
  ⑩裏切りや密会を好み、
  ⑪刑を科するに残酷で、
  ⑫独裁的でもあったが、
  ⑬謀略を得意とし、
  ⑭忍耐力に富み、
  ⑮計略と策謀の達人であった。
  ⑯築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、
  ⑰選(え)り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。
  ⑱絶えず信長に贈与することを怠らず、
  ⑲彼(信長)を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、
  ⑳彼の嗜好や希望に関しては、
   いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け、
  ㉑必要がある場合などは涙を流し、
   それは本心からの涙に見えるほどであった。
  ㉒人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習した
  ㉓信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、
  ㉔信長は彼を丹波、丹後二ヵ国の国主に取り立て、
  ㉕比叡山の大学(延暦寺)の全収入・・・とともに彼に与えるに至った。
                             『日本史』

【重史242】                 公 天正09 158100223
  ①二月十九日、北畠中将信雄卿・中将信忠卿、御上洛。
  ②二月廿日、信長御出京。
   本能寺に至つて御座を移さる。
  ③二月廿三日、きりしたん(切支丹)国より黒坊主参り候。
                            『信長公記』

【重史243】                 公 天正09 158100228
  ①御弓衆、百人。
  ②御馬牽(ひ)かせられ候次第(一番~六番)。
  ③七番、夕庵(せきあん)、山うばの出立にて。
   此の外、長安・長雲・友閑、御先に参らるゝ。
  ④八番、御曲彔持ち四人。
                            『信長公記』

【重史244】                 公 天正09 158100228
  ①左、御先小姓、
  ②右、御先小姓、
  ③御馬大黒に召され、惣御人数廿七人。
  ④御内府の御装束。
  ⑤御眉にて、きんしや(金紗)を以てほうこうめされ、
  ⑥御頭巾、とうかむり。
  ⑦御後ろの方に、花を立てさせられ、
  ⑧御膚(はだ)にめさせられ候御小袖、紅梅に白のだん、
  ⑨永岡与一郎(細川忠興)、都にて尋ね、捜し求め、進上。
  ⑩御肩衣、べにどんすに、きりから(桐唐)草なり。
  ⑪御袴、同前なり。
  ⑫御腰に、ぼたんの作り花をさゝせられ、
  ⑬御腰蓑、白熊。
  ⑭御沓(くつ)は、猩々皮、
  ⑮(信長の)花やかなる御出立(いでたち)・御馬場入りの儀式、
  ⑯各、神感(=神が感応すること)をなし奉り訖(おわ)んぬ。
                            『信長公記』

【重史245】                 公 天正09 158100228
  ①然れば、隣国の群集、晴れがましきに付けて、爰を肝要と、
  ②我れ劣らじと、あらゆる程の結構、生便敷(おびただしく)、
  ③数百人の事なれば、一々には、しる(記)し得ず。
  ④辰の刻より未の刻(8時頃~14時頃)まで、めさせられ、
  ⑤駿馬(しゅんめ)の集まり、記しがたし。
                            『信長公記』

【重史246】                 公 天正09 158100228
  ①岐阜中将信忠卿、驄(あしげ)の御馬、
  ②北畠中将信雄卿、河原毛御馬。
  ③織田三七信孝、糟毛御馬、
  ④後には、御馬ども懸け足にめさせられ、御叡覧に備へられ、
  ⑤本朝の儀は申すに及ばず、
  ⑥異国にも、かほどの様(ためし)これあるべからず。
  ⑦天下安泰にして、黎民(れいみん)、烟戸(かまど)さ(鎖)ゝず、
  ⑧かほど面白き御遊興、
  ⑨天子御叡覧、御歓喜斜ならざるの旨、忝くも、御綸言。
  ⑩信長の御面目、勝(あ)げて計(かぞ)ふべからず。
  ⑪千秋万歳、珍重々々。
                       『信長公記』

【重史247】                 ✓ 天正09 158100228
  ①きわめて気品のある有名なある行事を開催しようと欲した。
  ②華麗な出立ちの七百人武将が集うことになり、
  ③群衆の数は、・・・二十万人に近いと言われる。
  ④絢爛豪華な光景は生涯かつて見たことがないものだ、
  ⑤内裏も姿を見せていた。
  ⑥桟敷に似て、よく設備された立派な場所をわざわざ彼に提供した。
  ⑦濃紅色のビロードの椅子を贈呈していた
  ⑧それを四人の男の肩の高さに持ち上げさせて、
  ⑨一度馬から降りて椅子に座って見せ、
                             『日本史』

【重史248】                 ✓ 天正09 1581003**
  ①行事が終ると、信長はただちに安土山へ帰還した。
  ②(ヴァリニャーノは)信長を観察しようと決めていた
  ③巡察師も後を追って安土山に向かって出立した。
  ④(安土は)全日本でもっとも気品があり
  ⑤(街路は)美しく見事な景観であった
  ⑥街路ははなはだよく手入れされていて、
  ⑦毎日二回、午前と午後に清掃が行われていた。
  ⑧住民の数は、話によれば六千を数えるという。
                             『日本史』

【重史249】                 ✓ 天正09 1581003**
  ①巡察師が安土山へ到着すると、
  ②信長は彼に城を見せたいと言って召喚するように命じ、
  ③修道院にいるすべての司祭・・・いっしょに来るように命じた
  ④下にも置かぬように歓待し、
  ⑤城と宮殿を・・・案内するために、多くの使者をよこし、
  ⑥彼自らも三度にわたって姿を見せ、
  ⑦司祭と会談し、種々質問を行い、
  ⑧賞賛するのを聞いて極度に満足の意を示した。
                             『日本史』

【重史250】                 ✓ 天正09 1581003**
  ①安土山の市は、信長の甚だ重要視する所であったから、
  ②(ヴァリニャーノは)セミナリヨをここに置くことを希望し、
  ③カザ(修道院)の最上層に、甚だ立派な広間を造った。
  ④オルガンティーノが・・・集めた少年武士二十五、六人
  ⑤有馬のセミナリヨ・・・と同一の注意・規則及び時間割
  ⑥当地方の人は、性質良く、才識あり、高雅にして言語洗練
  ⑦信長は、聖堂を非常に壮麗宏大なるものとすることを希望
  ⑧数回、パードレと語った。
  ⑨聖堂ができたらば、当城のキリシタンは増加するであろう。
                       「イエズス会日本年報」

【重史251】                 ✓ 天正09 1581004**
  ①パードレ(ヴァリニャーノ)は、当所(安土)に約一ヵ月間滞在し、
  ②この地方のキリシタンを巡視する許可を信長に請うたところ、
  ③彼は、慈愛に満ちた言葉をもって許可を与へ、
  ④全領内希望の場所に、説教師を派遣することを許し、
  ⑤教えの弘布することは、彼の大いに喜ぶところであると言った
                       「イエズス会日本年報」

【重史252】                 ✓ 天正09 1581007**
  ①パードレがキリシタンの巡視を終わって帰った時、
  ②信長は従前より大なる好意を表した
  ③好意の一つは、信長が屏風と称し、
  ④信長は知らざる・・・これを(内裏に)贈ることを欲しなかった。
  ⑤親愛の印として何か贈り、帰国の際携へ帰らせんと思ひ、
  ⑥コレジョ(神学校)を絵に・・・と考へて己の屏風を送付する、
  ⑦これを覧て満足すれば留め置くべく、然らざれば送り返せと
  ⑧この屏風は彼(信長)が非常に珍重するもので、
  ⑨彼(信長)がパードレを尊敬することを日本全国に知らしむる
  ⑩このことは信長がパードレに好意を有する証拠で、
                       「イエズス会日本年報」

【重史253】                 ✓ 天正09 1581007**
  ①信長がつぎにパードレに示した好意は、
  ②カザの建築に多大の経費を要したことを聞き、
  ③窮乏を感ずることがあった場合には、
  ④必ず補助をするであらう
  ⑤殿下の好意によって早く実行さるることを期待する
  ⑥信長はこの返答を大いに喜んで我等を援助することを約束し、
                       「イエズス会日本年報」

【重史254】                 ✓ 天正09 1581007**
  ①第三の好意は我等に夜の祭を観せたことで、
  ②この祭は・・・パードレのために行ったものである。
  ③パードレが暇乞のために行った際、
  ④望みがあればこれを観せよう
  ⑤信長は城の塔に各種の色の提灯を飾らせた
  ⑥街路の両側に・・・松明を持った多数の人を整列させ、
  ⑦昼の如く大いに明るくなった。
  ⑧信長は・・・楽しんだか、何と思ったかと尋ね、
  ⑨(信長は)大なる親愛と歓喜を示して
  ⑩(信長は)パードレに出発の許可を与へた。
                       「イエズス会日本年報」

【重史255】                 公 天正09 158100715
  ①安土御殿主(天主)、 幷(ならび)に惣見寺に、
  ②挑灯(ちょうちん)、余多(あまた)つらせられ、
  ③手々(てんで)に、続松(たいまつ)とぼし申され、
  ④山下かゞやき、水に移(映)りて、
  ⑤面白き有様、見物群集に候なり。
                            『信長公記』

【重史256】
  ①これら東洋に於ける征服事業により、
  ②主への奉仕及び多数の人々の改宗に役立つところ大である
  ③征服事業は、霊的な面ばかりでなく、
  ④陛下の王国の世俗的な進展にとって益する。
  ⑤征服事業の内、最大のものの一つは・・・シナを征服すること
  ⑥閣下と相談することが出来れば大変嬉しく思う。
  ⑦イエズス会が主や陛下に対して忠誠を尽くすべきところから、
               「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」

【重史257】
  ①私は日本に三年近く滞在して、今年当地に戻って来た
  ②日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業の一つである
  ③国民は非常に高貴且つ有能にして、理性によく従うから
  ④日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。
  ⑤日本は、・・・最も国土が不毛且つ貧しい
  ⑥国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練をつんでいる
  ⑦(日本は)征服が可能な国土ではない
  ⑧シナに於いて・・・日本は・・・非常に益することになる
  ⑨日本の地を極めて重視する必要がある。
               「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」

【重史258】
  ①その宮殿に隣接し、城を離れた城を離れたる山に上に
  ②全日本の領主信長はこの寺院を建立し、総見寺と名附けた。
  ③尊崇する者の受くべき功徳と利益はつぎの如し。
  ④第一に、富者ここに来りて崇敬すれば、
  ⑤第二に、生命は延びて八十歳に至り、
  ⑥今は盲目の極に達し、
  ⑦これによって己を崇拝させんためであった。
  ⑧信長は己自らが神体であり、生きたる神仏である。
  ⑨或人がボンサンと称する石を携え来た時、
                       「イエズス会日本年報」

【重史259】
  
①当一五八二年の三月八日(天正十年二月十四日)夜の十時に、
  ②天は東の方が甚だ明るく、
  ③(信長が)甲斐国の王に対する戦争に出たことは、
  ④戦争は好結果を収め、
  ⑤王とその子を殺し、甚だ大なる国四ヵ国を占領した。
  ⑥絶えず懸念した敵に打ち克ったのであるが故、
  ⑦この勝利によって一層傲慢となった。
                       「イエズス会日本年報」

【重史260】                      W【重史008】
  
①毛利を平定し、
  ②日本六十六ヵ国の絶対君主になった暁には、
  ③一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、
  ④諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった。
                             『日本史』


 

   現在進行中!!




 ⇒ 次へつづく


いいなと思ったら応援しよう!