本能寺の変1582 【光秀という男】 目次 №6-099 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【光秀という男】 目次 №6-099
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮 1 2 3
←2 光秀の実像 1 2 3 4 5 6
←3 光秀の苦悩 1 2 3 4 5
←4 武田の滅亡 1 2 3
←5 信長の油断 1 勝利の余韻
「事態急変」
2 四国出陣
3 足蹴事件
4 中国出陣
「時は今」
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
←【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【光秀という男】 目次 №6-099
1/7 目 ①~㉖ 光秀の実像=真の姿。「要因」の一つ。 【注ポ01】
2/7 目 ①~③ 光秀には、細川藤孝に仕えた時期があった。
3/7 目 ④~⑥ 光秀は、出来る男。信長の気心をよく知っていた。
4/7 目 ⑦~⑨ 新参者。出来る男。信長の性格・気性を知悉していた。
忠義心が希薄。自立心が強かった。 【注ポ02】
5/7 目 ⑩~⑱ 典型的な戦国武将。手段 殺戮 自立心 猜疑心 執念 兵法。
光秀の本性。典型的な戦国武将。「変」の根底。
【注ポ03】
6/7 目 ⑲~㉒ 光秀は、出来る男。信長の性癖をよく知っていた。
信長は、誇り高い男。逆らってはならぬ。要因。
【注ポ04】
7/7 目 ㉓~㉖ 典型的な戦国武将。出来る男。明智の再興。なれど・・・
【注ポ05】
結論 目
1~4/x 目 変の一因
5~8/x 目 京都馬揃え
9~14/x 目 ヴァリニャーノ来訪
15~17/x 目 安土夜祭り
18~19/x 目 スペインの野望
20~21/x 目 信長の「さらなる夢」
22~25/x 目 逆風
1/x 目 【注ポ06】
2/x 目 3/x 目 4/x 目 5/x 目 6/x 目 7/x 目 8/x 目
9/x 目 10/x 目 11/x 目 12/x 目 13/x 目 14/x 目 15/x 目
16/x 目 17/x 目 18/x 目 19/x 目 20/x 目 21/x 目 22/x 目
23/x 目 24/x 目 25/x 目目 24/x 目 25/x 目
史料
【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】 【重史006】
【重史007】 【重史008】 【重史098】 【重史172】 【重史173】
【重史181】 【重史190】 【重史174】
概略 20/x
関連史料 1京都馬揃え 2ヴァリニャーノ来訪 3安土夜祭り
4スペインの野望 5信長の「さらなる夢」 6光秀の思い
【重史140】 【重史141】 【重史142】
1/7 目
【注ポ01】
これが、光秀の真の姿=実像である。 →【重史241】『日本史』
「本能寺の変」の根本要因の一つとなった。 →【五大要因】
フロイスが証人。 →【人物】 【重史014】
光秀を、よく見ていた(①~㉕) 。
①信長の宮廷に
惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。
②彼(光秀)はもとより高貴の出ではなく、
③信長の治世の初期には、
公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していた
④その才略、深慮、狡猾さにより、
⑤信長の寵愛を受けることとなり、
⑥主君とその恩恵を利することをわきまえていた。
⑦殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、
⑧ほとんどすべての者から快く思われていなかった
⑨寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。
⑩裏切りや密会を好み、
⑪刑を科するに残酷で、
⑫独裁的でもあったが、
⑬己を偽装するのに抜け目がなく、
⑭謀略を得意とし、
⑮忍耐力に富み、
⑯計略と策謀の達人であった。
⑰築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、
⑱選(え)り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。
⑲絶えず信長に贈与することを怠らず、
⑳彼(信長)を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、
㉑彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け、
㉒必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった。
㉓人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習した
㉔信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、
㉕信長は彼を丹波、丹後二ヵ国の国主に取り立て、
㉖比叡山の大学(延暦寺)の全収入・・・とともに彼に与えるに至った。
【重史241】『日本史』
2/7 目
①光秀は、信長の家臣。 【重史241】『日本史』
②光秀は、土岐氏の流れを汲む明智の一族。
③光秀には、細川藤孝に仕えた時期があった。
光秀と細川藤孝が出会った時期について。
永禄十年1567、秋。
信長が美濃を平定した。 →【重史096】 【重史097】 そ第28話
そして、「天下布武」。 →そ第29話①同年、冬。
足利義昭は、越前一乗谷にいる。 →【重史100】 そ第29話②
藤孝は、御供衆。 →【重史051】同じ頃。
光秀もまた、越前にいた。
「長崎称念寺門前に、十ヶ年居住故」 →【重史025】
雌伏時代である。 →そ第151話①
おそらく、それより、もう少し、早い時期。
義昭が、まだ、敦賀にいた時。
かつ、信長が、稲葉山を攻略した頃。 →そ第28話
きわめて、流動的な時代だった。
「細川ノ兵部太夫が中間にてありしを」
→【重史102】「多聞院日記」天正十年六月十七日条
光秀と細川藤孝は、密接な関係にあった。
3/7 目
④光秀は、出来る男。 【重史241】『日本史』
キレ者である。→⑨⑲~㉒㉔
優れた能力の持主だった。
⑤光秀は、信長の気心をよく知っていた。
信長は、大いに気に入った。
⑥光秀は、信長の懐中深くに入り込んでいた。
信長は、光秀を抜擢した。
以後、重用され、立身出世の道をひた走る。
4/7 目
【注ポ02】
⑦光秀は、新参者。 【重史241】『日本史』
信長とともにあった十五年。
⑧織田家中では、特異な存在だった。
⑨光秀は、出来る男。
キレ者である。→④⑲~㉒㉔
洞察力に優れていた。
信長の心の内を読み取ることが出来た。
「打てば響く」
信長の性格・気性を知りつくしていた。
光秀は、忠義心が希薄な人物だった。
光秀は、土岐氏の元家臣。
「美濃国住人、土岐の随分衆なり」
→【重史002】「立入左京亮入道隆佐記」
主家の没落により、牢人となった。
→そ第30話① 【重史025】「遊行上人三十一祖京畿御修行記」
その後、長い雌伏の時代を経て、藤孝の家臣となる。
→そ第151話① 雌伏時代
→【重史241】『日本史』 2/7③ 藤孝の家臣
→そ第30話① 【重史102】「多聞院日記」中間
程なくして、幕府の再興により、幕臣(足軽)に取り立てられる。
だが、やがて、主君 将軍義昭を見捨て(主替え・裏切り)、信長のもとへ。
土岐氏→牢人→藤孝→義昭→信長
以上、度々、主君を替えている。
そして、最終的には、・・・・・。
その信長をも、裏切った。
それが、天正十年1582六月二日、「本能寺の変」。
光秀は、自立心が強かった。
裏を返せば、そういうことになる。
このこともまた、「本能寺の変」の一因となった。
すなわち、光秀の人物像(性格)に関わる部分。
5/7 目
光秀は、典型的な戦国武将。→㉓ 【重史241】『日本史』
信長と「同じ穴の狢」。
周波数が合う。
以下、⑩~⑱。
⑩光秀は、目的のために、手段を選ばない。
「裏切り」とある。
なかなか意味深い言葉である。
⑪光秀は、大量殺戮を厭わない。
⑫光秀は、自立心が旺盛だった。
⑬光秀は、用心深く、疑い深い。
「油断」せぬ=「隙」を見せぬ男。
⑭光秀は、兵法に通じていた。→⑯㉓
⑮光秀は、粘り強く、執念深い。
これもまた、信長と共通する部分。
⑯光秀は、兵法に通じていた。→⑭㉓
「達人」のレベルにあった。
信長は、最後まで、気づかなかった。
⑰光秀は、築城術に精通していた。
⑱光秀は、用兵に優れていた。
見事なリーダーシップである。
信長は、これを高く評価していた。
【注ポ03】
これが、光秀の本性。
史実である。
光秀は、典型的な戦国武将。→㉓
目的のために、手段を選ばない。→⑩
大量殺戮を厭わず。→⑪
忠義心が希薄。→4/7 02
自立心旺盛。→⑫ 4/7 02
用心深く、疑い深い。→⑬
兵法に通じていた。→⑭⑯ ㉓
粘り強く、執念深い。→⑮
築城術に精通していた。→⑰
光秀は、用兵に優れていた。→⑱
このことが、「本能寺の変」の根底にあった。
きわめて重要な部分。
要注意ヶ所!!
これまでに、小説・映画・ドラマ等により脚色されたイメージ像を払拭すべきである。
6/7 目
光秀は、出来る男。 【重史241】『日本史』
キレ者である。→④⑨㉔
以下、⑲~㉒。
⑲光秀は、努力家である。
全ては、子らのため、明智のため。
⑳光秀は、信長の懐中深くに入り込んでいた。
信長の心を引きつけた。
㉑光秀は、信長の性癖をよく知っていた。→⑨
㉒光秀は、信長の心を確りと捉えていた。
【注ポ04】
光秀は、出来る男。→3/7 6/7
キレ者である。
洞察力に優れていた。
光秀は、信長の性格・気性を知りつくしていた。
信長は、絶対専制君主。 →【信長という男】
誇り高い男。
決して、「逆らってはならぬ」のである。→㉑
光秀は、このことを肝に銘じていた。
その筈だった。
なれど、・・・・・。
→【足蹴事件】
このことが、「本能寺の変」の要因の一つになった。
きわめて重要な部分である!!
要注意ヶ所!!
㉓光秀は、典型的な戦国武将。→⑩~⑱ 【重史241】『日本史』
兵法に通じていた。→⑭⑯
七十二の方法。
㉔光秀は、出来る男。
キレ者である。→④⑨⑲~㉒
信長を瞞着した。
【注ポ05】
㉕㉖
斯くして、明智の再興は成った。
「大願成就」
丹波、丹後二ヵ国の国主。
比叡山の大学(延暦寺)の全収入。
なれど・・・・・。
光秀は、これを守らねばならなかった。
全ては、子らのため、明智のために・・・・・。
⇒ 次へつづく
