本能寺の変1582 【光秀という男】 結論 24/x №6-098 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【光秀という男】 結論 24/x №6-098
はじめに ←目次 重要 ◎目次 【記事一覧】
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1時代の風潮 2光秀の実像 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
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【信長という男】
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結論 目
【重史052】 【重史146】 【重史169】
【光秀という男】
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結論 目 1~4/x 目 5~8/x 目 9~14/x 目 15~17/x 目 18~19/x 目
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【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
【さらなる夢】
概略 20/x
関連史料 1京都馬揃え 2ヴァリニャーノ来訪 3安土夜祭り
4スペインの野望 5信長の「さらなる夢」 6光秀の思い
【重史140】 【重史141】 【重史142】
【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
【時は今・・・】 目次
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→テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次
→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【光秀という男】 結論 24/x №6-098
結論 目 1~4/x 目 変の一因
5~8/x 目 京都馬揃え
9~14/x 目 ヴァリニャーノ来訪
15~17/x 目 安土夜祭り
18~19/x 目 スペインの野望
20~21/x 目 信長の「さらなる夢」
22~25/x 目 逆風
24/x
元親は、信長の命を受けつけず。 →【重史190】
これを拒否した。
元親、四国御儀は、
某(それがし)が手柄を以って、切り取り申す事に候、
更に、信長卿、御恩義たるべきに非ず、
存の外なる仰せ、驚き入り申すとて、
一圓、御請け申されず、
光秀は、再び、使者=石谷頼辰を派した。
斎藤利三 弟 光秀の窓口 →【人物】
石谷頼辰 兄 光政の娘婿 →【人物】
石谷光政 義父 元親の窓口 →【人物】
長宗我部元親 義兄弟 光政の娘婿 →【人物】
又、重ねて、明智殿より、
齋藤内蔵助(利三)兄 石谷兵部少輔(頼辰)を御使者に下されたり、
元親は、聞く耳を持たず。
頼辰の説得は、徒労に終わった。
是れにも、御返事、申し切らるゝなり、
(「元親記」)
元親は、急速に、支配地を拡大していた。
これすなわち、兵力強化。
武力=兵数=領土拡大。
大勢の家臣たちが、見ている。
その手前が、あった。
下手に動けば、家中が動揺する。
流動的な時代。
「一寸先は、闇」
何が起きるかわからぬ時代。
元親は、典型的な戦国武将。
強かな男である。
信長の命に逆らう姿勢を見せた。
そういうことになる。
光秀は、出来る男。
キレ者である。
洞察力に優れていた。
信長の性格・気性を知りつくしていた。
→【光秀という男】
目次 3/7 目 4/7 目 6/7 目 7/7 目 【重史241】『日本史』
信長は、専制絶対君主。
己が、天下の支配者であることを強く意識していた。
人の取扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。
彼は、日本のすべての王侯を軽蔑し、
下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。
そして人々は彼に絶対君主に対するように服従した。
→【信長という男】 目次 3/5 目 【重史146】『日本史』
信長は、誇り高い男。
名誉心に富み、正義において厳格であった。
彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。
→【信長という男】 目次 2/5 目 【重史146】『日本史』
決して、「逆らってはならぬ」のである。
彼の嗜好や希望に関しては、
いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け、
→【光秀という男】 目次 6/7 目 【重史241】『日本史』
難しい状況になって来た・・・・・。
斯くして、天正九年1581は、波乱含みの内に暮れる。
⇒ 次へつづく
