本能寺の変1582 【光秀という男】 結論 19/x №6-076 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【光秀という男】 結論 19/x №6-076
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1時代の風潮 2光秀の実像 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
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【さらなる夢】
関連史料 1京都馬揃え 2ヴァリニャーノ来訪 3安土夜祭り
4スペインの野望 5信長の「さらなる夢」 6光秀の思い
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【光秀という男】
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【光秀という男】 結論 19/x №6-076
ヴァリニャーノは、日本についても論じている。 →【重史257】
日本のキリスト教界については、閣下に書(き)送るべきことが沢山有る。
何故なら私は日本に三年近く滞在して、今年当地(マカオ)に戻って来た
からである。
日本への布教は、最も重要な事業の一つである。
私は閣下(フィリピン総督)に対し、霊魂の改宗に関しては、
日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業の一つである旨、断言する
ことが出来る。
ヴァリニャーノの日本人観。
何故なら、国民は非常に高貴且つ有能にして、理性によく従うからであ
る。
日本は、征服事業の対象外。
不向きな国である。
尤も、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。
理由は、二つ。
一、日本の国土。
不毛で貧しい。
何故なら、
日本は、私がこれまで見て来た中で、最も国土が不毛且つ貧しい故に、
求めるべきものは何もなく、
一、日本の軍事力。
きわめて、強力。
征服不可能である。
また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練をつんでいるので、
征服が可能な国土ではないからである。
日本は、利用すべき国。
重要なパートナーである。
しかしながら、シナに於いて陛下(フィリペ2世)が行いたいと思っている
ことのために、
日本は時とともに、非常に益することになるであろう。
それ故日本の地を極めて重視する必要がある。
1582年12月14日付
「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」
【重史257】(「キリシタン時代の研究」高瀬弘一郎著)
ヴァリニャーノの心の中には、信長がいた。
天正九年1581、二月出会い~七月別れ。
すなわち、
信長の存在が抑止力になった。
つけ入る「隙」を与えなかった。
そういうことになる。
天正十年1582、六月。
信長没後、その路線は、→秀吉→家康へ。
結果、日本は、侵略されず。
その様な見方もできよう。
⇒ 次へつづく
