#649[短編]琥珀色の間[34]──こたえ合わせ
人を救う代わりに、大事なものは後回しになる──父の言葉を辿る大翔。兄の温もりを伝えた見知らぬ手と、記憶が交錯する連載第39回。
1話、2話、番外編・大翔、3話 -I、3話 -II、3話 -III、4話、5話-I、5話-II、5話-III、5話-IV、5話-V、6話、7話、番外編・爽子、8話、9話、10話、11話、12話、13話、14話、15話、16話、17話-I、17話-II、18話-I、18話-II、19話、20話-I、20話-II、21話、22話、23話、24話、前半まとめ
※ 連載ですが、どのお話からも読めます。
大翔はふしぎと目が冴えていた。
「人を救うかわりに自分の大事なものは後回しになる」
大翔は仮眠室のベッドに背中を落とし、天井の模様を辿る。
「親の葬式にだって行けない。その覚悟があるのか?」父はそう言うと毛布に顔を押し当てて黙った。
「おやすみ」と返ったあと、「色々考えてるのは分かった」直哉のおいた言葉が、どことなく淋しげに部屋に響いた。
──まだ、ちゃんと自分を諦めてないってことじゃないかな。
初めて爽子に会った日──独り言みたいな声で彼女は言った。見ないようにしていたことを、拾って、返して、選ばせる。「まだ終わってないよ」と、少しだけ軌道をずらされた気分だった。
自分で自分を引き受けるための角度を変えてくれた人。豊川さんが言うには、そういうことらしかった。
◇
夜が明けるのを待って、大翔は明け方にコンビニで朝食を買った。雨上がりの植栽から濡れた土の匂いに、深呼吸すると、夜の名残が胸いっぱいにひろがる。院長室に戻ると、父は起きていた。手元のニュースに落としていた目線を上げる。
「おはよう」どちらからともなく声をかける。「お父さん、朝ごはん」大翔は袋をローテーブルに置く。
「お、ありがとう」直哉は好物の和菓子を見つけて子どものように心を弾ませた。
「ところで、祐希のことってなんだ?」直哉は器用にサンドイッチを飲み込み、牛乳で流し込んだ。容赦のないその速さに、父の歳月が滲んでいた。
「あの日、なんで手術室に呼んでくれたの?」大翔もおにぎりが喉に詰まりそうになる。呼び出しがあるかもしれず、少しでも効率のいい言葉を選んだが、胸がチクリと痛んだ。
「嫌だったとかじゃなくて、何があったのか知っておきたいと思って」大翔は当時のことを直哉に話している間、直哉は腕を組んで一点を見つめていた。
◇
「母さんからのバトンをお前に繋ぎたかった」直哉は腕を組んだまま、ほんの少しだけ唇を噛む。
「それと……おれの口から伝えたかった」大翔は目線を上げて直哉を向いた。
「あの日は別件のあとで祐希を診た。医大での処置は完璧だった」
「……そっか」大翔は初めて父の思いを知った。
「俺……あの時は、お腹減った、寂しかった、心細かった。そんな感じかな」大翔はぽつりと言葉を置いた。
「最後、お父さんもそばにいてほしかったよ」
「……スマン。さすがにおれも最後はな」
直哉は大翔から目を逸らす。腕を組んだまま指先だけがわずかに動いた。
「ごめんな」直哉は大翔を振り返り、声はかすかに涙を含む。
「いや、ちゃんと顔をみれてよかったよ。それに……」大翔は穏やかに続ける。
「祐希は手を握り返してくれたよ」大翔は自信があった。直哉は何度も頷いた。「お前がそう言うのなら、そうなんだろう」と言って、直哉は長年の胸の支えをすっと甘みに溶かすように饅頭をほおばる。
◇
そして、それは唐突に放たれた。
「お前、結婚するの?」
「え、いや、しないよ」大翔は一瞬、呼吸の止め方すら忘れてしまいそうだった。
「そうか」父は立ち上がって、洗面台の横のゴミ箱に、朝食の包み紙と牛乳パックを捨てようとして、立ち止まる。
直哉はタオルを握ったまま、言葉を探すように息を吸った。
「医者はやめとけよ?」父の放ったゴミがひとつだけ、放物線を描いて床に落ち、乾いた音が響く。一瞬、母親の面影がかすめる。大翔はその問いをそっと胸のポケットにしまいこんだ。
「あと、私立はだめだ。国立なら自分でいけ」直哉はそう言って顔を洗う。大翔は内心、父は自分の跡を継いでほしかったんだと思った。
「おやじは厳しかったなぁ……」タオルで顔を拭きながら直哉が漏らす。「昭和のおじいちゃん?」
「そう、昭和のほう」父はドサっとソファに腰をおろした。
大翔には元号ひとつにつき、1人ずつ祖父がいる。
「毎日こってり絞られたよ」いつもは遠く感じていた父の横顔に、大翔は目線を留めた。そんな風には見えなかったと言うと「お前にだけはな」とこぼした。もう少し聞いてみたい衝動が、胸の内で小さく跳ねる。
「もうそんな年か……」直哉はソファに背中を預け、天井を仰ぎ見た。
「おれはプロレスラーになりたかったんだけどなぁ」父の決まり文句に、ふと本当は何になりたかったのかと、大翔は思い始めていた。
直哉は院内用のPHSを手にした。「中山先生?うん、休憩室のほう」直哉が短く言い終え、再び静寂が訪れるのと同時に廊下から扉をノックする音がした。
◇
大翔が扉を開けると、直哉より頭ひとつ高い医師が立っていた。ドアノブにかけた手が一瞬止まり、父ではない大翔を見て驚く。「まあ、入って」と直哉が言い、大翔は扉を押し広げて医師を迎え入れた。
直哉は大翔に「誰だと思う?」と言い、大翔は少し間を置いた。
「中山先生、倅です」その医師ははっと目を見開く。
「ヒロト、くん?」名前が呼ばれた瞬間、大翔の背中に微かな電流が走り、気づけば身体が前に傾いていた。
「もしかして……ユウキ、兄の手を握らせてくれた先生ですか?」
「ああ……、そうです」中山が声を震わせ、頷いた。
◇
「それじゃ、今はどこかで研修を?」
「いえ、ふつうの会社員で」直哉が言い、大翔は所在なさげに「今日はたまたま……」と言って右手で耳の上の髪をなぞる。
「そうか、そうなんですね。わぁ、こんなに立派になって……」中山医師は大翔と直哉の顔を交互に見比べて、ただ驚いていた。直哉はふいに窓の外をみる。
「あの時はありがとうございました。ユウキ……兄の手を握らせてくれて」大翔は中山に握手を差し出した。
「こちらこそ、力が及ばず申し訳なかった」中山は小さく俯いて首を振り、いつの間にか目尻に涙を浮かべていた。
「そんなことないです。お……僕はずっと先生にお礼を言いたかったんです」胸の奥の螺旋がほどけていくようだった。
──命のバトンを繋いでくれてありがとうございました。
直哉が窓の外を見ると、雲の隙間から光線が漏れ、
雨上がりの窓辺を優しく照らしていた。
<了, 約 2,500 字>
🐌 改稿のお知らせ
シーンの描写を加えました(心、からだの動き)
セリフと動きを整理しました(冒頭、中盤)
2100字が、2500字になってしまいました(すみません💦)
2026/06/02 作者

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