本能寺の変1582 密室にて 3/3 №6-190 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
密室にて 3/3 №6-190
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男
3光秀と光慶 1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
4先祖の教訓
5大量殺戮
6信長の弱点
←3 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2志向の相違
3光秀の老い
4四国問題
5自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断 大要
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日
4月24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3
5月11日
3 足蹴事件 大 概略 5月12日 大 概 1/5 概 2/5 概 3/5 概 4/5 概
5/5 概
5月15日 大 概
密室にて 大 概 1/3 概 2/3 概 3/3 概
① 概 ② 概 ③ 概 ④ 概
⑤ 概
4 中国出陣 大 概略 備中高松城 大 概
5月17日 大 概
5月19日 大 概
5月20日 大 概
5月21日 大 概
5 時は今、・・・・・。
5月26日 大 概
5月27日 大 概
5月28日 大 概
5月29日 大 概
←さる程に、不慮の題目出来候て、 【重史016】
←【注目ポイント】 目次
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←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
←3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
←【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
←【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
密室にて 3/3 №6-190
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→【四国問題】 天正十年 目次
【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3
光秀は、極限状態に追い込まれていた (①~⑤) 。
①光秀は、粛清を怖れていた。
信長は、典型的な戦国武将。 →5月12日 4/7
猜疑心が強い。
信長は、執念深い。 →5月12日 4/7 5/7
根に持つタイプ。
後で、必ず、蒸し返す。
信長は、絶対専制君主。
その権勢は、正に、右肩上がり。
止まる所を知らず。
天正八年1580、本願寺降伏。
天正九年1581、京都御馬揃え。
天正十年1582、武田滅亡。
信長は、天下の支配者であることを強く意識していた。
信長は、誇り高い男。
口答えする家臣を、決して、赦さない。
信長は、合理主義者。 →5月12日 4/7
無駄を嫌う。
信長は、不意を衝く。 →5月12日 5/7
「常套手段」
粛清は、ある日、突然、訪れる。
恐ろしい男なのである。
佐久間信盛を見よ!! →5月12日 5/7
信盛は、大坂攻めの総指揮官。
織田家の重臣筆頭者。
大身であり、家中最大の軍事力を有していた。
信長は、重臣といえども容赦しない。
信盛を粛清した。
光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。 →5月12日 5/7
それ故、今がある。
「狡兎死して、走狗烹(煮)らる」
用が済めば、粛清される。
役に立たねば、粛清される。
邪魔になれば、粛清される。
戦いが終われば、粛清が始まる。
「明日は、我が身」
このことが、脳裏から、離れない・・・・・。
緊張の日々が、つづく。
「油断」してはならぬ・・・・・。
「油断」してはならぬ・・・・・。
②光秀には、老いの問題があった。
光秀は、きわめて難しい問題に直面していた。 →そ第76話
光秀は、高齢者。
年齢は、五十九±四歳ぐらい。 →そ第77話
生年は、大永四1524±四年ぐらい。
着実に、老人に、否、その時に近づいていた。
嫡男光慶は、まだ、13歳。
若すぎた。
六年前(天正四年)の大病のこともある。 →【重史013】 そ第7話⑰
光秀は、それ程、頑強な肉体の持ち主ではなかった・・・・・。
長生きするとは、思っていなかったのではなかろうか。
光秀の最大の敵は、時間だった。 →そ第76話
時は、容赦なく過ぎ去って行く。
人生の残り時間は、少ない。 →そ第77話
このことが、光秀に先を急がせた。
光秀は、信長より、年長。 →そ第75
信長より、先に、死ぬ。
未熟な光慶を一人残して・・・・・。
光秀にとって、このことが最大の悩み。
大きな不安だった。
相互不信の時代。 →そ第76話
信長は、猜疑心が強い。
光秀を信用していない。
光秀もまた、猜疑心が強い。
信長を信用していない。
光秀は、明智の将来が不安だった。 →そ第76話
「天下布武」
問題は、その後、である。
信長の「さらなる夢」。
信長は、事実行なわれたように、都に赴くことを決め、
同所から堺に前進し、
毛利を平定し、
日本六十六ヵ国の絶対君主になった暁には、
一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、
諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった。
【重史008】 【重史260】『日本史』
果たして、その時、自分は生きているだろうか・・・・・。
光秀は、自信が無かった。
となれば、明智は、光慶の代。
なれど、
信長が、光慶を引き立ててくれる保証など何もない。 →そ第76話
むしろ、その逆である。
光慶は、未だ未熟。
「役に立たぬ」
となれば、
明智の領地は、召し上げられる・・・・・。
斯くなれば、明智は、再び、没落・・・・・。 →そ第76話
光秀は、それを怖れていた。
何としても、これを回避せねばならなかった。
親ならば、当然のこと。
「光慶を守らねばならぬ」
全ては、子らのため。
明智のため。
光秀は、このことに、頭を悩ませていたのである。
そのためにも、失敗など、あってはならぬこと。
決して、赦されぬことであった。
光秀は、頼辰の帰りを待った。
土佐は僻遠の地。
そうする他なかった。
間に合えば、・・・・・。
間に合わぬ時は、・・・・・。
時折、「自立」の二文字が脳裏を掠める。
斯くあれば、これまでの難題は全て解消する。
なれど、信長は、それを赦さず・・・・・。
地獄の如き日々がつづく。
③中国出陣が間近に迫っていた。
甲斐の武田は、消滅した。 →【重史170】
三月十一日、武田四郎父子、簾中(れんちゅう)、一門、
こがつこ(駒飼*)の山中へ引籠らるゝの由、
滝川左近(一益)、承り、
(中略)
四郎父子の頸、
滝川左近かたより、
三位中将信忠卿へ、御目に懸けられ候のところに、
関可平次・桑原助六両人にもたせ、
信長公へ、御進上候。
(『信長公記』)
信長は、浪合で、勝頼の首と対面した。 →【重史263】
(三月)十四日、平谷(同平谷村)を打ち越え、なみあひに御陣取り。
爰にて、武田四郎父子の頸、関与兵衛・桑原介六、もたせ参り、
御目に懸けられ候。
則ち、矢部善七郎に、仰せつけられ、飯田へ持たせ遣はさる。
光秀も、浪合で、勝頼の首を見た。
光秀は、信長に同行している。
これが、武田の最期。
信長に逆らった者の末路。
「哀れなものよ」
時は、滔々と流れていく。
信長は、武田の滅亡を世に知らしめた。
飯田にて、勝頼の首を晒す。
十五日、午の刻より雨つよく降り、
其の日、飯田に御陣を懸けさせられ、
四郎父子の頸、飯田に懸け置かれ、上下見物仕り候。
十六日、御逗留。
敗者、斯くの如し。
「無念」
その形相(ぎょうそう)。
光秀の、脳裏にこびり付く。
信長は、勝頼の首を京へ送った。
「獄門に懸けよ」
使者は、長谷川宗仁。
武田四郎・同太郎、武田典厩・仁科五郎、
四人の首、長谷川宗仁に仰せつけられ、
京都へ上せ、獄門に懸けらるべきの由候て、御上京候なり。
(『信長公記』)
信長は、絶対的な武力を手に入れた。 →【重史018】
「戦わずして、勝つ」 →そ第74話②
信長の勢威は、絶頂に達していた。
これすなわち、「武田効果」。 →【重史018】
最早、風前の灯火。
信長は、容赦しない。
毛利は、武田と同じ道を歩むことになる。
北は越後境、東はうすいが峠・川中島等、信州中に一所も残らず、
侘言せしめ、落着候、
西上野、同前に候、
此の如く、卅日・四十日際に一偏に属するの事、
我ながら驚き入る計りに候、
(「武家事紀」「織田信長文書の研究」)
最早、この国に、信長に抗う者など、いない。
信長の脳裏には、「勝頼の首」。 →【重史263】
信長には、絶大な自信があった。 →そ第74話②
武田滅亡 → 「武田効果」 → 毛利滅亡
さすれば・・・・・、
「天下布武」は、成る。
否、成す。
となれば、羽柴秀吉・・・・・。
中国出陣の日は、近い。 →4月24日
秀吉から、注進あった。
「小早川隆景、幸山城に入る」
なれど・・・・・、
信長は、動かず。
「引きつけよ」
次の報せを待つ。
信長は、出陣のタイミングを窺っていた。
中国進発の事、来秋たるべきの処、
今度、小早川、備前児嶋より敗北せしめ、備中高山に楯籠るの間、
羽柴藤吉郎、出陣せしめ取巻くの由、注進候、
重ねて、一左右次第、出勢すべく候、
由断なく、用意専一に候、
【重史036】(「細川家文書」)
信長は、目的意識の強い男。 →4月24日 5月12日 1/5
性急・短気。
先を急いでいた。
信長は、この年、四十九歳。 →【重史052】
「人間五十年」 → 【重史169】
信長は、この「五十年」を強く意識していた。 →5月12日 1/5
それまでに、・・・・・。
そのことが、信長に先を「急」がせた。 →5月12日 1/5
それが、「焦り」となり、
そこに、「隙」が生じた。
これすなわち、「油断」。
「前を見れば、後ろは見えず」
光秀は、これを見逃さず。
そこを衝いた。
それが「本能寺の変」である。
④四国出陣命令が発令された。
⑤「天下布武」が成れば、次は、「さらなる夢」。
以上①②③④⑤のような状況下で、足蹴事件は、起きたのである。
【参照】
【時は今・・・】 目次
0521 目 0526 目 0527 目 0528 目 0529 目
本能寺への道 1 2 3 4 5
本能寺への道1
そ第78話① 性格・人格・人間性の形成
そ第78話② そのような時代
そ第78話③ 四月二十一日 同二十四日
そ第78話④ 事態急変 五月七日
そ第78話⑤ 同十五日
そ第78話⑥ 「足蹴事件」
本能寺への道2
そ第78話⑦ 秀吉は備中に 同十七日
そ第78話⑧ 石谷頼辰は土佐に 同二十一日
そ第78話⑨ 土佐は僻遠の彼方 所要時間
本能寺への道3
そ第78話⑩ 同二十六日
そ第78話⑪ 分岐点 選択肢は二つ
そ第78話⑫ 同二十七日
本能寺への道4
そ第78話⑬ 同二十八日
そ第78話⑭ 同二十九日 上洛
そ第78話⑮ 同日 亀山 二人揃った
本能寺への道5
そ第78話⑯ 六月一日 出陣
そ第78話⑰ 同日 公家参集
そ第78話⑱ 同日、夜
光秀は、決断した。
【四国問題】 天正八年 天正九年 天正十年 目次
【四国問題 概要】 天正八年 天正九年 天正十年
←重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次
←テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
←その一因 目次大 概説大 目次中
←3光秀と光慶
(1)光秀の素性
(2)光秀の年齢
(3)光秀の嫡男
←見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
←【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
←【ここがポイント!!】
⇒ 次へつづく
