見出し画像

【連続短編小説】今日、歴史が終わった 2021-2051 第1話|眠れる姫の世界大戦

あらすじ

これは、100人による、100の立場の、100年の物語である。

現代社会の多様な職業や立場にある人々の、内面的葛藤と選択を描く連作短編集。

国際政治学者、製薬研究者、教師、財閥の令嬢、就活生、音楽家、建築家、定年退職者……。
彼らは、それぞれの仕事と人生のあいだで「意味」を問い続け、「意志」を繋いでいく。

知識の価値、選択の自由、世界への愛、公共性の意義。
日常の裂け目から立ち上がる普遍的テーマが交錯し、物語は偶然の出会いを通して緩やかに結びついていく。

誰だって、何かを抱えて生きている。
これは、「働くこと」、「生きること」、そして「知ること」をめぐる、私達の小説群である。

※2021-2051までの31編を収録

眠れる姫の世界大戦


雪乃澄音は、カプセルのなかで目を覚ました。

午前七時、カプセルホテル「スリープ・ポッド」の女性専用フロア。
ゆっくりと、彼女はカプセルから身を起こす。

化粧をしていない素顔が蛍光灯の下で輝く。
二十五歳の彼女は、眠りから覚めたばかりでも、息を呑むほど美しかった。同じフロアの女性客たちが、羨望と困惑の入り混じった視線を向けている。

エレベーターでフロントに降りる。
受付の若い男性が顔を上げた。一瞬、彼の動きが止まる。

この数ヶ月、毎朝同じ光景だった。

「雪乃さん、おはようございます」

声が少しうわずっている。美しさというものには、人を慣れさせない力がある。

「おはようございます」

「今日も良い天気ですね」

雪乃は軽く会釈をして外に出た。


昼過ぎ、雪乃は新宿御苑の隅にある小さな公園にいた。ベンチに座っているが、本も読まず、スマホも見ず、ただ座っている。

近くで遊ぶ子供たちの母親が、ひそひそ話をしていた。

「あの人、すごく綺麗ね」
「モデルかしら?女優さんかも」
「でも何時間もあそこに...」

雲がゆっくりと流れている。

街を歩く人々はみな、何かを求めているように見えた。しかし彼女には、求めるものが何もなかった。


夕方、新宿駅南口を歩いていた時、スーツ姿の男性が近づいてきた。

「お時間ありますか?モデルのお仕事に興味はないでか?」

雪乃は足を止めずに答えた。

「ありません」

「でも、これだけ美しければ必ず成功できます。一度お話だけでも...」

「失礼します」

雲に隠れかけた夕陽が、雪乃の横顔を照らしていた。

その時、後ろから声をかけられた。

「雪乃君?」

振り返ると、城ノ内教授が驚いた表情で立っていた。恩師の顔には、戸惑いと心配が混じっていた。

「城ノ内先生。お久しぶりです」

雪乃は静かに挨拶をした。通りすがりの人々が振り返るが、彼女はそれを気にした様子もない。

「やはり君だったか。噂は聞いていたが...」

二人は近くのカフェに入った。城ノ内は珈琲を頼み、雪乃は水だけを注文した。

「卒業後、連絡が取れなくて心配していた。君ほど優秀な学生が、なぜカプセルホテル住まいなど...」

「先生は『歴史の終わり』を講義された後、何を発見されましたか?」

雪乃の質問に、城ノ内は少し戸惑った。

「...倫理の重要性だった。予測不能な世界での責任ある行動」

「私も倫理を実践しています」

「カプセルホテルで?ディオゲネスにでもなったつもりか?」

雪乃は静かに微笑んだ。

「先生、あなたは『選択の自由』を教えてくださいました。しかし社会は私に『正しい選択』を強制します。美しく生まれた女性は美しさを活用せよ。頭脳明晰な人間は社会に貢献せよ。そのすべてが、私の意志を無視した『他者の欲望』です」

城ノ内は言葉を失った。

「なぜ私が社会のために存在すると決められるのですか?私は私のために存在しています」


一週間後、城ノ内は同じ公園を歩いていた。

ベンチに雪乃が座っている。いつもと違うのは、彼女の足元に小さな荷物があることだった。

「雪乃君、またここに?」

雪乃は振り返った。

「先生...」

「その荷物は?」

「ホテルが閉鎖されまして」

城ノ内の表情が曇った。

「…とりあえず、研究室に来ないか」


大学の研究室で向き合う二人。
城ノ内は身を乗り出した。

「せめて、アパートを借りたらどうだ。私が保証人になろう。資金がないなら、初期費用も立て替えよう」

雪乃は考え込むような表情を見せた。

「...本当ですか?」

「ああ、それに博士課程に戻れば、奨学金も申請できる。君の修士論文は素晴らしかった」

「魅力的なお話ですね。普通の生活に戻れるかもしれません」

城ノ内の顔が明るくなった。

「そうだ。君ならきっと優秀な研究者になれる。社会への貢献も...」

「ですが、お断りします」

城ノ内の表情が凍りついた。

「なぜだ...」

雪乃は立ち上がった。

「先生、あなたは私を『救おう』としている。しかし私は救われる必要がありません。あなたの善意は、私が『困っている可哀想な女性』だという前提に基づいています。それこそが、私が戦っているイデオロギーです」

「しかし君は...」

「私の現実は私が決めます。あなたの『助け』を受けた瞬間、私は社会の『普通の枠』に戻ることになる。それは私の敗北です」

「敗北?…君は何と戦っているんだ?」

「世界です」

「それは……随分、大きな戦いだな」

「ええ、『こうあるべき』とされる、世界の一切に対して」

城ノ内は深いため息をついた。

「君は、私の最高の教え子だった」

「だからこそ、あなたの教えを最も純粋に実践しています。選択の自由、意志の自律、他者からの承認に依存しない存在。これこそが真の自由ではありませんか?」

雪乃は研究室を出ていった。

城ノ内は窓から夕暮れの空を見つめていた。


翌朝、雪乃は新しいカプセルホテルにいた。

「こちらがお客様のカプセルになります」

雪乃はカプセルに入り、横になった。
ここには彼女が必要とするものが全て揃っていた。眠る場所。世界と戦うために、それ以上は要らない。

天井を見上げて、雪乃は小さくつぶやいた。

「...狭い」



【2022】四つの意味と意味の意味

【2023】「汝」と「それ」の境界線

【2024】駅前の聖者の、今日の永遠

【2025】あなたが世界を愛するなら

【2026】バスの揺れ方で正しさの意味が揺らいだ木曜日

【2027】嘘はコンビニでも買えるけれど

【2028】生きることは雪の日とバッハのように

【2029】切実な罪と豊かなる救済

2030s

【2030】ワールド・イズ・マイン

【2031】あなたはまだ認証されていません

【2032】真夏に鍋を売る女

【2033】割れた砂時計、土に線を引く

【2034】誰にも行けない場所がある

【2035】速すぎる世界と壊れた対象

【2036】鬼灯の天ぷらと空虚な中心

【2037】さよならパーティー、もう抜けようよ

【2038】暇を持て余した神々の遊び

【2039】失われた香りを諦めて

2040s

【2040】無双ラノベ作家の俺が紡ぐ二つの世界の雨

【2041】星空のディファランス

【2042】ばあちゃんの信仰

【2043】知識は水だ。独占してはいけない。

【2044】限られた光の公平な分配

【2045】名前の喪失と記憶の意味

【2046】神も人も細部に宿る

【2047】野球なんて球遊び

【2048】ミッドナイト・クラクション・ベイビー

【2049】そのコーヒーは、世界を変えたか

2050s

【2050】力士は意外となんでもできる

【2051】存在のない、死に至らない病

第2部 全31話


1部 今日、歴史が終わった 1989-2020

3部 今日、歴史が終わった 2021-2051

いいなと思ったら応援しよう!