#656[短編]琥珀色の間[38]──まばたき
深夜の空港へ爽子を迎えに行く大翔。2人の行き先は……連載第43回。
1話、2話、番外編・大翔、3話 -I、3話 -II、3話 -III、4話、5話-I、5話-II、5話-III、5話-IV、5話-V、6話、7話、番外編・爽子、8話、9話、10話、11話、12話、13話、14話、15話、16話、17話-I、17話-II、18話-I、18話-II、19話、20話-I、20話-II、21話、22話、23話、24話、25話、26話、27話、28話、前半まとめ
※ 連載ですが、どのお話からも読めます。
翌朝、枕の違う朝を迎えたように、大翔は意識と夢の間でいつの間にか泣いていた。夢と現の間、温かい暗闇の中を川のように音が流れ、意識がゆったりと現実へ移るのを感じる。目を覚まして右手をみると、指先がまだ爽子の音に触れているように、現実とつながっていた。
大翔は髪をセットしてパーカーを羽織り、ベーカリーへ向かう。ポケットに手を突っ込んで寝ぼけまなこをこすった。コンクリートの隙間に小さなたんぽぽが顔を出しているのが見えた。
駅前から運動部の中学生が列をなして大翔の方へ歩いてくる。いまの会社を選ばずに教員になった自分を一瞬だけ重ね、肩を回した。教員を選んでも、選ばなくても、 どこかで同じ問いに戻ってきたのかもしれない。
ベーカリーを出る前に、爽子にメッセージをした。
[おはよう 昨日はありがとう]
帰宅してパンを口に運んでコーヒーを含むと、爽子から返信が来ていた。
[こちらこそ ああいうのは 初めてでした]
[今日、帰りですよね?]大翔はすぐに返信した。
──空港、行っていいですか。
最後の1行だけは送れなかった。
[大翔さん、夜、会えますか]爽子だ。続けて[ダメですね、明日早いですから]と入ってきた。
[はい、何時ですか?]
それだけ返信して参考書を開くと、画面の端に爽子からのメッセージが降りてきた。
◇
週末の到着ロビーは思ったよりも静かだった。天井から抑揚のないアナウンスが耳を抜ける。大翔はビジネス客の流れを目で追った。人が出てきては、スーツケースを引く音が規則的に流れていく。見送りの時の熱とは違う、普段の通勤風景と変わらない光景だった。
爽子が出てきた。銀色のスーツケースを引き、出発の時と同じトートバッグを肩にかけている。白い長袖のカットソーと黒のパンツという姿も軽やかに見えた。大翔を見つけた瞬間、胸の奥で何かが跳ねたように見えた。
それを悟られまいとするみたいに、ほんの少しだけ視線を落としてから、小さく手を振った。
「お帰りなさい」大翔ははじめてBarで会った時のように緊張していた。
「ただいま帰りました」爽子も同じだった。
2人は一瞬、間を置いて、大翔から切り出した。
「このあと、どうしますか?クルマで来たんですけど、すぐ帰りますか?それとも……なんか食べます?」
「ありがとうございます。そうですね、ご飯にしましょうか」爽子が一瞬、目線を上げると、多くの店が既に閉店していた。
「それじゃ、こっちです」大翔の指す方へ爽子が歩みをそろえる。エレベーターの静けさがふたりの距離をはかる。大翔はひとつ息を吸い、爽子は吐く息をそっと押し殺した。表示盤はあっという間に目的の階を示す。大翔がドアに手を添えると、爽子はありがとう、と言って先に降りた。
クルマの近くで大翔がキースイッチを押すと、オレンジのランプが2回点灯した。「あれです」大翔は小走りに、先にトランクを開けた。トランクに荷物を入れる音が夜の空気に小さく響いた。
大翔は爽子が腰かけたのを確認して、助手席のドアを閉めると、運転席に乗り込んだ。シートベルトの金具がカチリと鳴る。始動ボタンを押すと電子音がして、外のざわめきが一気に遠のいた。
「寒くないですか」空調は暖房になっている。
「大丈夫です。ありがとう」爽子は大翔をそっと見て、シートベルトを締めた。
「この時間、案外どこもやってないんですね」大翔は片手をハンドルに手を置いたまま、画面をたどる。
「……ご飯、あとでもいいです。よかったら少し、走りませんか?」爽子はスマホから目線を上げて、大翔を向いた。
「じゃあ、ちょっと走りますか」爽子がうなづくと、車はゆっくりと滑り出す。
「さすがにあの中華屋はないですよね」大翔は左右を確認しながら爽子と目を合った。
「ふふふ、そうですね。コンビニかな」爽子の視線が一瞬、大翔の横顔に触れる。気づかれたくないみたいに、すぐ窓の外へ戻っていく。
「あ!それじゃ、子どもの頃によく行ったところでもいいですか」大翔は赤信号で爽子の方へ身を乗り出す。
「いいですね。そうしましょう」
「爽子さん、疲れてないんですか?」信号が変わり、クルマがゆっくりと走り出す。大翔が息を吸うのと、 爽子が息を吐くのが、 ほんの一瞬だけ重なった。
「ありがとう、ドライブは別腹です」
爽子はにっこりと笑って、窓の上の取っ手に手を添えた。
「わかりました。それじゃ……」大翔は車線を変えて左に合図を出した。爽子が笑ったあと、車内に小さな沈黙が落ちた。
ひとけのない夜の街の光が、細い線になって流れていく。
爽子は窓の外を見たまま、何かを言いかけて、言わずにいた。
<了 2,000 字>

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