本能寺の変1582 【重史243】 『信長公記』 №6-036 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史243】 『信長公記』 №6-036
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*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史243】 №6-036
①御弓衆、百人。
②御馬牽(ひ)かせられ候次第(一番~六番)。
③七番、夕庵(せきあん)、山うばの出立にて。
此の外、長安・長雲・友閑、御先に参らるゝ。
④八番、御曲彔持ち四人。
『信長公記』
天正九年1581、二月二十八日。 158100228
やがて、信長の行列がやって来た。
先手は、弓衆。
御弓衆、百人。
頓而(やがて)、御先、平井久右衛門(長康)・中野又兵衛(一安)両人、
二手に分けて、二段に参り候なり。
是れは、一統に打矢(うちや=手で投げる)を腰にさゝれたり。
つづいて、信長の乗馬。
信長は、無類の馬好きだった。
御馬牽(ひ)かせられ候次第。
厩(うまや)別当、青地与右衛門、御奉行なり。
左の御先、杓(しゃく)もち、みちげ、草おけ持、御のぼり(幟)さし。
右御先、水おけ持、御のぼりさし、ひさく持、今若。
一番、鬼蘆毛(あしげ)。
御くらかさね(鞍重)、唐(から)織物、
同あおり、同前、
雲形は、こう(紅)のきんらん(金襴)なり。
二番、小鹿毛(かげ)。
三番、大あし毛。
四番、遠江鹿毛。
五番、こひばり。
六番、かはらげ(河原毛)。
此の御馬と申すは、奥州津軽・日本まで、大名・小名によらず、
是れぞと申す名馬、我も々々と、はる々々牽き上(のぼ)せ、
進上候余多の名馬の中にて、勝(すぐ)れたる御馬なり。
本朝において、是れの上こす御馬あるべからず。
御皆具(かいぐ)は申すに及ばず、何れも、色々に御結構、
申すばかりなし。
御中間衆、出立(いでたち)。
立烏帽子、黄なる水干(すいかん=衣服の一種)、
白き袴(はかま)、す(素)足に草鞋(わらじ)なり。
次、坊主衆。
武井夕庵(せきあん)・楠木正虎・長雲軒妙相・松井友閑らの吏僚。
皆、法体。
右筆・奏者・奉行を役目とした。
七番、夕庵、山うばの出立にて。
此の外、長安・長雲・友閑、御先に参らるゝ。
その次、曲彔(きょくろく)持ち四人。
伴天連から献上された椅子。
八番、御曲彔持ち四人。
御奉行、市若。
地を金に、雲に浪を絵取りなり。
(『信長公記』)
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