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本能寺の変1582 【重史248】 『日本史』 №6-046 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【重史248】 『日本史』      №6-046

はじめに ←目次 【記事一覧】 
【五大要因】
 
1時代の風潮 2二人の個性 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断  
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
 【四国問題】    目次 【四国問題 概要】   十
 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
 【京都馬揃え】 【重史191】 【重史200】 【重史201】 【重史202】
 【重史242】 【重史243】 【重史244】 【重史245】 【重史246】
 【重史247】 【重史248】
 【さらなる夢】 【重史140】 【重史141】 【重史142】
 【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
 【信長という男】 目次
 1/5  2/5  3/5  4/5  5/5  結論  【重史146】
 【光秀という男】 目次
 1/7  2/7  3/7  4/7  5/7  6/7  7/7  
 結論 目  1/8 目  2/8 目  3/8 目  4/8 目  5/x 目  6/x 目  7/x 目  8/x 目  9/x 目
 10/x 目  11/x 目  12/x 目  13/x 目 
 【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】
 【時は今・・・】 目次
 0521 目 0526  0527  0528 目 0529
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重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 3光秀と光慶  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】
 【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正

【重史248】                    №6-046

①行事が終ると、信長はただちに安土山へ帰還した。

②(ヴァリニャーノは)信長を観察しようと決めていた

③巡察師も後を追って安土山に向かって出立した。

④(安土は)全日本でもっとも気品があり

⑤(街路は)美しく見事な景観であった

⑥街路ははなはだよく手入れされていて、

⑦毎日二回、午前と午後に清掃が行われていた。

⑧住民の数は、話によれば六千を数えるという。

                        『日本史』


天正九年1581、三月**。               1581003**

信長が、安土へ帰った。

  三月十日、京都より信長、安土に至りて、御下り。
                           (『信長公記』)

ヴァリニャーノは、その後を追った。
信長のことを、もっとよく知りたかった。
京から安土へ。

  都で催された行事が終ると、信長はただちに安土山へ帰還した。

  そして
  もっとゆっくり好機を見て信長を観察しようと決めていた巡察師も
  後を追って安土山に向かって出立した。

ヴァリニャーノの見た安土。

  信長は、都と、日本人が日本王国をさした言葉である天下の主であった
  が、その日頃の住居は都から十四里のところにある近江の国の安土山に
  あった。

  彼は同国を征服すると、その地を居住地に選び、十二、三ヵ年にわたっ
  て同地から諸国を支配したのである。

安土は、日本でもっとも気品がある市(まち)。

  彼はそこに、城がある一つの新しい都市を造築したが、
  それは当時、全日本でもっとも気品があり主要なものであった。

  なぜなら位置と美観、建物の財産と住民の気高さにおいて、
  断然、他のあらゆる市(まち)を凌駕していたからである。

  その市(まち)は、・・・・・
  (以下略)

安土は、清潔で美しい市(まち)。

  信長はこの地に(難攻)不落の城をもった新市街を築き、自らのあらゆる
  栄光を発揮せんとした。

  そこで同山の麓の平野に庶民と職人の町を築き、広く真直ぐに延びた
  街路――それは実に長く立派な通りだったので、美しく見事な景観で
  あった――を有するその市(まち)の整備を彼らに担当させた。

  これらの街路ははなはだよく手入れされていて、人々の往来が盛んな
  ために、毎日二回、午前と午後に清掃が行われていた。

安土の人口は、六千人。

  すでに市(まち)は一里(4km)の長さにおよび、
  住民の数は、話によれば六千を数えるという。
                            (『日本史』)

安土は、信長の性格が見事に反映された市(まち)だった。
信長は、誇り高い男。          →【信長という男】 目次 2/5
信長は、清潔な人だった。        →【信長という男】 目次 4/5

 【引用】【京都馬揃え】【さらなる夢】
     【光秀という男】 目次 結論 目
     【四国問題】 天正八年 天正九年 天正十年 目次



 ⇒ 次へつづく




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