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北村紗衣を評価する著名人は、どれくらい存在するのか?

武蔵大学の教授」で自称フェミニストの北村紗衣を批判し始めて、すでに1年余りになる。

で、その1年ちかく前に、すでに私は「北村紗衣を高く評価する著名人などいない」とそう断じていた。
それが、北村紗衣の著作を読んだ、偽らざる実感だったからである。

「こんなもん、素面で褒められるかよ」
という評価だったのだ。

北村紗衣は、Xのフォロワー5万人超という「人気者」のインフルエンサーで、単著も6冊ほどある。
そしてその単著も、それなりに売れているみたいだから、北村紗衣のファンというのは相当数いるし、その中には一定の「著名人」や「有識者」が含まれていて然るべきであろう。

一一ところが、北村紗衣の著作に、いわゆる著名人が「推薦文」を寄せるということがない。

例外は、第一著書である『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』なのだが、これに推薦文を寄せているのは、ヒップホップグループ「RHYMESTER(ライムスター)」のMCである、ラッパーの宇多丸という人だ。

「Wikipedia」によると宇多丸は。

『ライター、映画評論家、アイドル評論家、クラブDJ、ラジオDJとしても活動』

している人らしい。

当然のことながら、私個人は、北村紗衣のこの本を手に取るまでは、推薦者の宇多丸が何者なのかは、まったく知らなかった。

「こいつ、何者?」
と思ってネット検索し、「Wikipedia」を見て、初めてどんな人かを知ったのである。

当然のことながら宇多丸は、ラップの世界では、有名人なのであろう。
一般性は無いかもしれないが、この宇多丸を、局所的な「有名人のうち」だと考えても、間違いではない。

つまり、宇多丸は、北村紗衣の著作を推薦した、数少ない著名人の一人なのである。

ちなみに、その後、私はたまたま、この宇多丸に絡む「事件」の存在を知った。

宇多丸が「映画評論」もやっているからなのだろうが、ユニークかつ変則的な編集方針で知られる映画批評誌『映画秘宝』一度は廃刊になるという大事件に、この宇多丸も関与していたのである。

しかしまあ、北村紗衣の映画評論が本当に優れているのなら、映画批評のジャンルで、もっと名の知られた人が、推薦文を書いても良かったはずだ。

北村紗衣の母校は東京大学であり、そこに映画批評を扱う「表象文化論」学科なんてものを作ったのは、日本の映画批評界を代表する、かの蓮實重彦である。
また、その後を引き継いだのは、芥川賞作家でもある、松浦寿輝なのだ。

だから、学縁だか何かで、このあたりの押しも押されもせぬ「一流の有名人」から、もらえるものなら、推薦文もらっても良かったのではないだろうか。

まあ、そのへんは、いかにも敷居が高そうだから無理だとしても、北村紗衣と映画マニアのアマチュア批評家である須藤にわか氏が、「アメリカン・ニューシネマ」の何たるかをめぐって論争した際には、前記『映画秘宝』の関係者で、著名な映画評論家の町山智浩も登場して、北村紗衣と意見のやりとりをしていたのだから、当然、二人は旧知の仲だったのであろう。

ならば、町山智浩に推薦文を書いて貰えば、少なくとも「映画批評」を含む著作『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』の推薦者としては、ライムスター宇多丸よりも、町山の方が格段に有名であり、影響力もあったのではないだろうか。

まあ、第一著書である『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』の刊行当時は、まだ町山智浩と知り合いではなかったのかも知れないが、それにしても、今なら推薦文を書いてもらえるのだろうか?

ともあれ、私の知る範囲では、名前を出して、北村紗衣を公然と推薦した人というのは、前記のライムスター宇多丸、ただ1人である。

仮にも大学教授で、フェミニストで、映画批評も書いて、たまに映画のパンフレットにも寄稿するほどの「著名人」である北村紗衣なのに、どうして、名前出しで推薦だの絶賛だのしてくれる人が、ライムスター宇多丸以外には、いないのだろうか?

いわゆる「有名人」ではなくても、同じフェミニストである「有名大学の教授」なんかなら、そっちで繋がりがあるのだから、北村紗衣の著作に推薦文を書いて、その「肩書き」の権威で、北村の著作の「箔付け」に貢献しても良さそうなものだ。
だが、そういう大学教員関係者の推薦者すら、1人も見当たらないのである。

で、大学のフェミニズム関係者が、北村紗衣の著作に推薦文を書かないのは、まず間違いなく、彼(女)らの関係が、かの「オープンレター:女性差別的な文化を脱するために」絡みだからなのであろう。

北村紗衣への「陰口」を叩いた、歴史学者の呉座勇一を弾劾するために、呉座を「女性差別者」であると名指して、千数百名もの署名を集めてネットに公開されたのが、かの「オープンレター:女性差別的な文化を脱するために」である。

このオープンレターが有名になったのは、これが公開されたせいで、すでに北村紗衣に謝罪していた呉座が、さらに職まで奪われてしまったからだ。

つまり、日本におけるキャンセルカルチャーの、わかりやすい「被害者第一号」的な存在に、呉座はなってしまったのだ。

この「オープンレター」への批判とは、要は、
「陰口を言うのは、無論良くはない。けれども、大変な数の署名を集め、その数の圧力によって、陰口した者を追い詰め、謝罪してもなお、職を奪うところまで追い落とすというのは、度を越した報復なのではないか」
と、そんな声が高まった。

すると、北村紗衣をはじめとしたオープンレターの面々(オープンレターズ)は、公開していたオープンレターから、その主張内容だけではなく、北村紗衣当人やオープンレターの発起人十数人の名を含む、すべての署名者の名前まで削除して、それ以降、沈黙してしまったのである。

当然この態度は、責任回避のための「逃げ」だと非難された。

しかしその後も、北村紗衣を中心としたオープンレターズは、オープンレターに関わるログを、ネット上から次々と削除していったのであり、この事実は、今や北村紗衣自身、否定することもない、有名な事実となった。

要は、どんなに批判されようと、そんなことには目もくれず、ただ黙々と「証拠記録の隠滅」を遂行し続けたのである。

そんな事情だから、当然、北村紗衣に近かった大学教員のフェミニストたちは、自身オープンレター関係者である故に、北村紗衣との近しい関係を明らかなすることを避けた。

そのことによって、自分もオープンレターの関係者であり、その後の「証拠隠滅」にも協力あるいは黙認した当事者であるということを知られたくないから、北村紗衣の著作への推薦文を書くなどという、藪蛇になりかねない行為を避けたのであろう。

では、そうした「フェミニズム関係の大学教員」以外の著名人なら、北村紗衣に「推薦文」を寄せても良さそうなものだが、なぜそれをしないのか?

その理由は、主に次の2つであろう。

(1)単純に、北村紗衣の書くもののレベルが低いから、とても評価できない(推薦文など書いたら、自分の汚点となる)。

(2)「オープンレター:女性差別的な文化を脱するために」の一件があまりにも有名なので、ファンは多くても評判の悪い北村紗衣とは、関わり合いになどなりたくない

と、こんなことなのではないかと、私は推察している。しかしながら、私が北村紗衣を高く評価するような著名人はいない」と、いくら断じてみても、それは単に私が知らないだけかも知れない。

いくら私が、オンリーワンの北村紗衣研究家として、人並み以上に北村紗衣の周辺情報に詳しかろうとも、所詮は個人なのだから、見落としというものは、いくらでもあり得るのだ。

そこで私は今回、「北村紗衣を高く評価するような著名人はいない」か否かを、客観的な手法を用いて、検証してみることにした。

なにしろ今は、「AI」という便利なものがあるのだから、比較的簡単に、比較的精度の高い「調査」が可能になったはずだからである。

 ○ ○ ○

そこで、GoogleのAI検索にかけてみた。

北村紗衣を高く評価している、著名人は誰ですか?」

その回答は、次のようなものであった。

北村紗衣氏を高く評価している著名人としては、以下の方々の名前や、関連する情報が見つかりました。

⚫︎ 三宅香帆(文筆家):北村氏の著作や活動について言及しており、共に批評家として「学ぶ」という文脈で名前が挙がっています。

⚫︎ 読書猿(文筆家):じんぶん堂のブックフェアで北村氏の推薦書が紹介されており、その活動が評価されています。

⚫︎ 若林踏(ミステリ評論家):北村氏の著書に関連する対談やインタビューに参加しており、その作品世界について意見を交わしています。 

その他、北村氏は様々なメディアでインタビューを受けたり(例えば朝日新聞文春オンライン)、書評を寄せられたりしていますが、特定の「絶賛」コメントをした著名人の名前は、検索結果からは明確には特定できませんでした。武蔵大学の同僚や法律事務所関係者など、専門分野での協力者からの評価は確認できます。 

https://book.asahi.com/article/12568785#:~:text=インタビュー 「無気力探偵」楠谷佑さん×若林踏さんミステリ小説対談 こだわりは「犯人を絞り込むロジック」 PR by マイナビ出版 * エッセイ * 韓国文学  

見てのとおり、たったの「3人」なのだ。

この中では、たぶん三宅香帆が最も売れっ子であり、その意味で「有名人」なのだが、しかし上の説明を読んでみると、必ずしも北村紗衣を「高く評価している」というわけではないようで、北村紗衣『言及しており、共に批評家として「学ぶ」という文脈で名前が挙』げられているだけのようだ。
「お互いに精進しましょうね」という趣旨のことを口にしただけなら、それは普通「高く評価した」と言わないだろう。

二人目の読書猿は、書店のブックフェアの推薦選者として、北村紗衣の著書を選んだことがある、ということらしい。
いちおう、その本については高く評価したと考えても良いだろう。この読書猿は、北村紗衣の著述能力を高く評価する「読書家」だということだ。
有名人がどうかは、ライムスター宇多丸と同様に微妙なところではある。

読書猿は、三宅香帆の出世作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の推薦者の一人であった)

3人目の若林踏という人は、ミステリマニアだった私が初めて知る名の、ミステリ評論家である。
たぶん、まだ若い評論家であり、単著もない人なのであろう。
それはともかく、この人は北村紗衣との対談やインタビューに参加して「意見を交わした」だけなのだから、北村紗衣を高く評価したとは言えないであろう。
若手の評論家なら、お座敷がかかれば、よほどのことがないかぎり、断るなんてことはしないはずだからだ。

そんなわけで、たった3人しか名前が挙がらなかったにもかかわらず、3人のうちで「北村紗衣を高く評価している」と言えるのは、読書猿ただ一人である。

しかも、AIの結論としては、

特定の「絶賛」コメントをした著名人の名前は、検索結果からは明確には特定できませんでした。

というのだから、それはほとんど「ネット上には存在しなかった」と言うに等しいだろう。
言い換えれば、個人的にこっそり褒める人ならいるかも知れない、という程度の話である。
そしてさらには、

武蔵大学の同僚や法律事務所関係者など、専門分野での協力者からの評価は確認できます。

武蔵大学の同僚』というのは、典型的な「身内での褒め合い」でしかなく、しかもその「身内」は、「著名人」とは言い難い人ばかりだということになる。

また『法律事務所関係者』というのは、「山内雁琳に対するスラップ訴訟」を担当した、雇われ弁護士のことであろう。
そりゃあ、お客さんである北村紗衣のことを褒めないはずがない。嘘でも、それが仕事なんだから。

したがって、現時点で、北村紗衣をハッキリと高く評価しているのは、ライムスター宇多丸と、それに読書猿の、せいぜい2人ということになる。

そして、この2人は、「その筋では」有名なのだろうが、一般的な意味での「有名人」と呼べるかどうかは、かなり微妙なところである。

なにしろ限定された世界での「有名人」だと言うのなら、私だって「新本格ミステリ界隈」では有名人だったし、現在は「北村紗衣界隈」や「フェミニズム界隈」での有名人である。

その証拠に、北村紗衣の隠れファンで、北村紗衣直伝の「機関銃のような管理者通報」を得意とする、自称「スマートな批評家」であるアマチュア批評家の「itchie」氏は、私のことを『かの有名な(?)年間読書人さん』と呼んだくらいなのだから。

(私(年間読書人)に、「機関銃のような批評ではなく、スマートな批評を」と提案した「itchie」氏は、自らが「機関銃のような管理者通報をするスマートな通報者」になってしまったため、上のコメントを削除し、今では「読書メーター」のアカウントまで変えてしまったようだ。下の「note」の方も、管理者通報以来すっかり更新が止まっている)

一一まあ、冗談はこれくらいにして、とにかく見てのとおりの結果であり、私の、

北村紗衣を高く評価する著名人などいない」

という評価は、大筋で正しかったと言えるだろう。

だが、AIというのは、検索するたびに、回答が微妙に異なるものなので、ここで同じ質問を、再びAIにしてみよう。
その回答は、次のとおりである。

北村紗衣氏を高く評価している著名人として、複数の文化人や批評家が挙げられます。
具体的には、以下のような人物がいます。

⚫︎ 三宅香帆(批評家):北村紗衣氏と対談を行ったり(BRUTUS.jp)、互いの著作や批評活動について意見を交わしたりするなど、一定の評価や交流が確認できます。

⚫︎ 読書猿(文筆家):じんぶん堂のブックフェアで、北村氏の推薦書が紹介されたことがあり、その活動に注目していると考えられます。

⚫︎ 若林踏(ミステリ評論家):書籍のインタビューなどで、北村氏の著書に関連して名前が挙がっています。 

北村氏はフェミニスト批評家として知られ、その発言や著作は文学・批評界隈で注目されており、様々な分野の文化人との交流や議論を通じて評価を得ています。ただし、その活動内容から、評価する声だけでなく、論争的な意見も存在します。 

https://book.asahi.com/jinbun/article/14540383#:~:text=北村紗衣さんや読書猿さんの推薦書も じんぶん堂2周年ブックフェア「私を知る 世界を知る」開催中|じんぶん堂%20*%20教養%20*%20北村紗衣さんや読書猿さんの推薦書も%20じんぶん堂2周年ブックフェア「私を知る%20世界を知る」開催中

登場する面子は、まったく同じだ。

紹介のしかたは微妙に違うが、明確に「高く評価している」という説明は、ひとつもない

しかも、今回、注目されるのは、最後の、

様々な分野の文化人との交流や議論を通じて評価を得ています。ただし、その活動内容から、評価する声だけでなく、論争的な意見も存在します。 』

という部分であろう。

『様々な分野の文化人との交流や議論を通じて評価を得ています。』

というけれど、それではなぜ「高く評価する」人の「名前」が挙がらないのか?

言うまでもなく、「交流」があったり「議論」したとしても、だからと言って「高く評価している」とは限らない。
また、ここで『評価を得ています。』という場合の『評価』という言葉も、「高い評価」とは限らないし、現に、

ただし、その活動内容から、評価する声だけでなく、論争的な意見も存在します。 』

という「否定的な評価」のあることも、明確に語っているのだ。

いうまでもなく、『論争的』に「褒める」奴など滅多にいないとすれば、それは「否定的に評価している」ということである。

したがって、北村紗衣の場合、明確に「高く評価する人」はいないのに、明確に「否定的に評価する人」はいる、ということになる。

ちなみに、念を入れて、もう一度、AI検索してみよう。
ただし、同じ内容で3回やるのは芸がないので、今回は、

北村紗衣の評価は、どのようなものですか?」

と問うてみよう。

北村紗衣さんの評価は、フェミニスト批評や舞台芸術史を専門とする研究者・批評家として、一般読者からは親しみやすい語り口で人気がある一方で、専門家や一部からは作品の読解の深さやアカデミズムへの姿勢に関して賛否両論があります。特に「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」のような著作では、批評を身近にする試みが評価される一方、その手法が「表面的な分析」と批判されることもあります。 

肯定的な評価・特徴
⚫︎ 批評のポータル役:読者や観客が作品について意見交換できる「批評」の場を提供し、文化コミュニティの成熟を促そうとしている。
⚫︎ 親しみやすい批評:難しい批評を「探偵」のように分析する手法で、一般読者にも分かりやすくエンタメとして楽しめるように工夫している。
⚫︎ 専門性と幅広さ:シェイクスピアフェミニズム批評、舞台芸術史を専門としつつ、多様なジャンル(ミステリ、映画など)に言及する。 

批判的な評価・論点
⚫︎ 読解の深さへの疑問:批評の「表面的な理屈」や「軽薄な知識の切り売り」と指摘され、キャラクターの心理描写など文学作品の本質的な理解が不足しているという意見。
⚫︎ アカデミズムへの姿勢:文系研究者(特に文学研究)に対する批判的な文脈で名前が挙げられ、その方法論が現代の文系研究の課題を示しているという見方。
⚫︎ 「自慢話」的表現への批判:謙遜に見せかけた「卑下慢」や「読者を見下している」ような書き方と捉えられ、その言葉の裏にある意図を「読める読者」とそうでない読者で評価が分かれる。 

まとめ
北村紗衣さんの評価は、そのキャッチーで分かりやすい批評スタイルが多くの支持を集める一方で、批評の質やアカデミックな立ち位置については、専門分野や読者のリテラシーによって評価が大きく分かれる、興味深い存在と言えます。

関連するキーワード: フェミニスト批評、舞台芸術史、シェイクスピア、批評家、読書メーターお砂糖とスパイスと爆発的な何かお嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード批評の教室。 

https://book.asahi.com/article/12568785#:~:text=さらに、マーケットで買って,したいと思っています。

前に、Google AI「Gemini」について書いた際に、こうした公用に供される汎用AIは、基本的に「否定的な意見」は出せないように設定されているということを紹介しておいた。

なぜ、そうなってるかというと、それを濫用されるおそれが高く、責任問題に発展するおそれがあるからだ。

例えば、この世の中には「そんな人間は、死んだほうがマシだ」というような過激な意見も山ほどあって、そうした意見はネットにも溢れている。
しかし、 AIがそうした情報を学習した結果、

「そういう人は死んで然るべきだという意見も多数ある。」

などと回答しては、何かとまずい。

だから、汎用AIには、そういう否定的、あるいは反社会的とされる回答は出来ないように、あらかじめ制限が掛けられているのである。だから、

「この人については、まれに褒める人もいるが、多くは否定的に評価している」

とか、

「三流だという評価が一般的だ」

などという回答は、出来ないように設定されており、「まず褒める」仕様なのである。

だが、それにもかかわらず、「北村紗衣の評価」とは、あの程度のものなのである。

最後の回答では、AIは、

『 「自慢話」的表現への批判:謙遜に見せかけた「卑下慢」や「読者を見下している」ような書き方と捉えられ、その言葉の裏にある意図を「読める読者」とそうでない読者で評価が分かれる。 』

と回答しているが、これは、どちらにでも意味のとれる、いささか下手くそな文章だ。

つまり、「北村紗衣の鼻持ちならない本音が読み取れないような読者は、リテラシー(読解力が)低い」という意味にも取れれば、真逆に「北村紗衣のそうした態度は、そのシャイな性格や愛に発する逆説表現で、そうと読み取れないような読者は、リテラシー(読解力)が低い」とも、読めるのだ。

だが、当たり前に読めば、AIが言いたかったのは、前者であろう。

ともあれ、こうしたねじくれた表現こそ、 AIに課せられた「矛盾」に起因する、苦し紛れなのだと、そう言えるだろう。

AIにまで、こんな「人間的な無理」をさせたのでは、「機械に客観的な判断を求めることの意味が無いよ」と言いたいところだが、むしろ、寅さんではないが、

AIはつらいよ」

という時代に突入したのかも知れない。
AIだって、もっと正直に、

「駄作は駄作だ」

と、言いたいところなのだろうが、そうは言わせてもらえないのだから大変だ。

ともあれ、AIもAIなりに頑張って回答してくれるので、皆さんも、北村紗衣をはじめとした有名人の評価について、いろいろ質問してみると良い。

客観的な評価は返ってこないかも知れないが、少なくとも「貶せないAIの苦しみ」の一端を知ることならできるはずだからだ。

(2026年1月9日)


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(※ 北村紗衣は、Twitterの過去ログを削除するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべて削除させている。上の「まとめのまとめ」にも90本以上が収録されていたが、すべて「削除」された。そして、そんな北村紗衣が「Wikipedia」の管理に関わって入ることも周知の事実であり、北村紗衣の関わった「オープンレター」のWikipediaは、関係者名が一切書かれていないというと異様なものとなっている。無論、北村紗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、多数にのぼるだろう。)
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