本能寺の変1582 【光秀という男】 結論 11/x №6-051 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【光秀という男】 結論 11/x №6-051
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1時代の風潮 2二人の個性 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【光秀という男】 結論 11/x №6-051
信長は、ヴァリニャーノの来着を待っていた。 →【重史249】
信長は、この年(天正九年)、四十八歳。
まだ若い。
体中に、気力・体力が漲っていた。
本願寺を屈服させた今。 →【重史222】
「天下布武」は、大きく前進した。
手の届く距離に近づいた。
信長には、大きな余裕があった。
時間的にも、精神的にも、軍事的にも、経済的にも・・・・・。
信長は、その後のことを考えた。
当然、そうなるであろう。
信長は、東アジアの情勢に大きな関心をもっていた。
正に、「興味津々」。
世界は、大航海時代(15世紀半ば~17世紀半ば)の真っ只中にあった。
なかでも、「シナ」について。
当時の中国は、明(1368~1644)の時代。
信長は、ヴァリニャーノ一行を安土城に招待した。 →【重史249】
「城を見せたいと言って」
色々と、話を聞きたいのである。
安土には、イエズス会の修道院があった。
「修道院にいるすべての司祭、修道士、同宿たち」
全員連れて来い、と言っている。
信長は、彼らを大いに歓待した。
「下にも置かぬように」
特別待遇である。
信長は、安土城のすべてを、きわめて丁重に案内した。
「初めは外から、ついで内部からも」
「案内するために多くの使者をよこし」
信長は、彼らに最大限の敬意を表した。
「自らも三度にわたって姿を見せ」
彼らの反応を、己の目で、直に、確認したかったのだろう。
信長は、誇り高い男。 →【信長という男】 目次 2/5彼らの感想=評価を気に懸けた。 →【重史249】
「司祭と会談し」
「種々質問を行い」
「賞賛するのを聞いて」
「満足の意を示した」
それが、彼らの本国へ伝えられるのだから。
⇒ 次へつづく
