本能寺の変1582 【重史252】 「イエズス会日本年報」 №6-058 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史252】「イエズス会日本年報」 №6-058
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史252】 №6-058
①パードレがキリシタンの巡視を終わって帰った時、
②信長は従前より大なる好意を表した
③好意の一つは、信長が屏風と称し、
④信長は知らざる・・・これを(内裏に)贈ることを欲しなかった。
⑤親愛の印として何か贈り、帰国の際携へ帰らせんと思ひ、
⑥コレジョ(神学校)を絵に・・・と考へて己の屏風を送付する、
⑦これを覧て満足すれば留め置くべく、然らざれば送り返せと
⑧この屏風は彼(信長)が非常に珍重するもので、
⑨彼(信長)がパードレを尊敬することを日本全国に知らしむる
⑩このことは信長がパードレに好意を有する証拠で、
「イエズス会日本年報」
天正九年1581、七月**。 1581007**
ヴァリニャーノは、畿内での布教を終え、再び、安土に帰った。
→【重史252】
パードレがキリシタンの巡視を終わって帰った時、
信長は、ヴァリニャーノに対して格別な好意を示した。
異例の好遇だった。
特に、以下一~三に注目。
信長は従前より大なる好意を表したが、
その評判は直に日本全国に伝はり、大いに我等の信用を増した。
一、信長は、ヴァリニャーノに気に入りの屏風を贈った。
好意の一つは、
信長が屏風と称し、日本の大身達が珍重する一種装飾用の幕を作らせ、
約一年前日本の最も著名なる画工に命じて
新市とその城の絵を少しも実際と相違なく、
湖水諸邸宅その他一切をありのまま描かせた。
そのために多くの時を費やし、もし少しでも実際と相違するところがあれ
ば、直にこれを消して新に描かせ、結局彼の満足するものができた。
この屏風は甚だよくできた完全な作品であり、著名なる画工が非常に努力
して絵を描いたものである故、信長は大いに満足してこれを珍重した。
この屏風は大なる評判となり、一層これを高くしたるは、信長が特別の好
意として少数の寵臣に観するにすぎなかったことである。
信長は、内裏からの申し出を断った。
この評判は内裏にも達し、信長に求めてこれを観、大いに満足して懇望の
意を伝へられたが、
信長は知らざる風をなし、これを贈ることを欲しなかった。
信長は、ヴァリニャーノに親愛の情を示した。
信長はパードレが帰国せんとするを聞いて、使者を遣はし、
甚だ遠隔の地より拝謁のため来り、長くその市に留り、
信長がパードレ達に与えたカザの地を大切する意を示したことを謝し、
記念ならびに親愛の印として何か贈り、帰国の際携へ帰らせんと思ひ、
所持の品について考へたが、
立派な物は皆ヨーロッパより来たものであるから、満足するものがない。
ただしパードレがコレジョ(神学校)を絵に描かする希望があらうかと考へ
て己の屏風を送付する、
もしこれを覧て満足すれば留め置くべく、然らざれば送り返せと言はせ
た。
信長は、ヴァリニャーノを尊敬していた。
而して未だこれを観ざるうちに、信長から他の使者が来て、
その屏風を送ったが満足しなければこれを返すやう伝へた。
この際使者の愉快なる態度は屏風を送った人の愛と親しみを反映した。
パードレは非常に屏風を喜んだことを伝へるよう頼んだところ、
信長は大いに満足し、
これによってパードレに対する愛の大いなることを覚るであらう。
この屏風は彼が非常に珍重するもので、
内裏が求めても断った程であるが、
パードレに与へ、彼がパードレを尊敬することを日本全国に知らしむるこ
とを喜ぶと言った。
これが、信長がヴァリニャーノに好意を有する証拠である。
このことは信長がパードレに好意を有する証拠で、
もし一千クルサド(お金)を与えたとしても、金銀には不足なきが故、
己の喜ぶものを割愛してパードレに与ふることには及ばないのである。
このことは直に全市に伝はり、ついで周囲の諸国にも伝はって、
異教徒もキリシタンも
信長がかくの如き好意をパードレに示したことを聞いて驚き、
パードレを幸福なる人と呼んだ。
(「イエズス会日本年報」)
【引用】【京都馬揃え】【重史252】
【さらなる夢】
【光秀という男】 結論 15/x
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結論 目 15/x
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