本能寺の変1582 5-3 足蹴事件 概略 №6-184 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
5-3 足蹴事件 概略 №6-184
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男
3光秀と光慶 1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
4先祖の教訓
5大量殺戮
6信長の弱点
←3 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2志向の相違
3光秀の老い
4四国問題
5自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断 大要
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日 24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3 11日
3 足蹴事件 大 概略 5月12日 大 概 1/5 概 2/5 概 3/5 概 4/5 概
5/5 概
5月15日 大 概
密室にて 大 概 1/3 概 2/3 概 3/3①~⑤ 概
① 概 ② 概 ③ 概 ④ 概
⑤ 概
4 中国出陣
5 時は今、・・・・・。
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
←【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
5-3 足蹴事件 概略 №6-184
5月12日
【記事一覧】>【五大要因】 中 小>5 信長の油断>3 足蹴事件>
→【四国問題】 天正十年 目次
0512 1/7 2/7 3/7 4/7 5/7 6/7 7/7
1/5
この日が、信長の誕生日である。 【重史052】
信長は、天文三年1534の生れ。
この年、四十九歳。
「人間五十年、下天の内をくら(比)ぶれば」 →【重史169】
信長は、幸若舞を好んだ。
特に、「敦盛」の、この一節。 →3【信長の人物像】 信05
信長には、絶大な自信があった。 →1 勝利の余韻
背景にあるのは、「武田効果」。
信長は、目的意識の強い男。
「五十年」を強く意識していた。
「天下布武」は、成る。
そのことが、信長に先を「急」がせた。
「焦り」→「隙」=「油断」
光秀は、これを見逃さず。
そこを衝いた。
それが「本能寺の変」である。
そして、その(「天下布武」)先に、・・・・・。
信長の「さらなる夢」があった。 →【重史008】
①一大艦隊を編成してシナを征服し、 「イエズス会日本年報」
②一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、 『日本史』
世界は、大航海時代。
信長の目は、海外を見ていた。
これが、信長の志向。
結局、信長の拡大政策は、止まず。
戦いは、まだまだ、つづく。
なれど、・・・・・。
光秀は、高齢。 →そ第7話①
嫡男光慶は、若すぎた。 →そ第7話②
光秀は、明智の将来が不安だった。 →3光秀と光慶 (3)光秀の嫡男 2
だが、・・・・・。
信長は、きわめて壮健。
信忠は、申し分なき後継者。 →【 人物 】
織田家は、安泰。
盤石の体制となっているであろう。
そればかりに、あらず・・・・・。
2/5
これが、信長である (①~⑲) 。 →【重史146】 0512 4/7
特に、以下の五つに注目!!
一、信長は、典型的な戦国武将。② ⑥⑩⑪⑰⑲
きわめて、猜疑心の強い男。⑱ ②⑤⑥⑪⑰⑲
用心深く、疑い深い。
一、信長は、忍耐強く、粘り強い。⑩ ⑤⑦⑪
執念深く、執拗である。
一、信長は、信念の人。⑦
目的意識が強い。⑤ ⑦⑪⑲
一、信長は、絶対専制君主。⑨ ③⑤⑦⑪⑲
誇り高い男。③
一、信長は、理性的であり判断力に優れていた。⑪ ⑭⑮⑱
信長は、合理主義者。⑮ ⑤⑦⑪⑭ →そ第7話⑥
無駄を嫌う。
信長は、完璧主義者。⑭ ⑤⑦⑩⑪
冗漫を嫌った。⑮ ⑤⑦⑪⑭
光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。→【光秀という男】 目次
3/5
信長は、重臣といえども、容赦しない。 →0512 5/7
佐久間信盛を粛清した(1~19) 。 →【重史240】 【重史172】
石山本願寺、退城。 →【重史222】
戦いが終われば、粛清が始まる。 →【重史163】
佐久間信盛を見よ!! →そ第7話⑥
粛清は、ある日、突然、訪れる。 →【重史240】 【重史163】
信長は、最後まで、佐久間信盛を赦さなかった。
哀れな末路であった。 →【重史240】 【重史172】
信盛は、吉野の山中で死んだ。 →【重史173】
信長は、忍耐強く、執念深い。 →5月12日 2/4 【重史146】
根に持つタイプ。
後で、必ず、蒸し返す。
「先年、朝倉破軍の刻」
信長は、絶対専制君主。
己が天下の支配者であることを強く意識していた。
「抑も、天下を申しつくる信長」
信長は、誇り高い男。
己に口答えする家臣を、決して、赦さない。
「口答申す輩、前代に始り候」
信長は、粛清の人。 →【重史163】
不意を衝く。
「常套手段」
恐ろしい男なのである。
光秀は、それを怖れていた。 →【重史009】
用が済めば、粛清される。
役に立たねば、粛清される。
邪魔になれば、粛清される。
「明日は、我が身」
このことが、脳裏から、離れない。
緊張の日々がつづく。
4/5
信長は、人々の心を大いに引きつけた。 →0512 6/7 【重史235】
1「天下布武」
2将軍追放
3領国拡大
信長は、戦国乱世を終わらせようとしていた。 →【重史237】
信長は、一般大衆に人気があった。
4安土城
5大名政策
6道路政策
7平和の実現
8関所政策
事は、全て、順調に推移していた。
否、順調に過ぎた・・・・・。
「一寸先は、闇」
何が起きるかわからぬ時代。
「油断」すべからず。
「油断」すべからず・・・・・。
5/5
信長は、傲慢だった。 →0512 7/7 【重史236】
それは、増長し・・・・・。 →【重史258】
信長は、安土山に総見寺を建立した。
信長は、自身を崇拝させようとしていた。
信長、誕生の日。 →【重史052】
信長は、己の誕生日に、総見寺に参拝することを命じた。
慢心、ここに極まれり。
これすなわち、「油断」。
フロイスは、「本能寺の変」について、以下のように、結論づけた。
「武田効果」により、
信長は、さらに傲慢になっていた。 →【重史259】
光秀は、そのことを、他の誰よりもよく知っていた。
これが、天正十年五月中頃の、信長の精神状態。
光秀は、肝に銘じていた。
だが、信長に縋(すが)る他、術がなかった・・・・・。
光秀には、自負があった。
「最後の手段」
そして、その時が来た・・・・・。
5月15日
【記事一覧】>【五大要因】 中 小>5 信長の油断>3 足蹴事件>
→【四国問題】 天正十年 目次
0515 【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3
→【重史226】
信長は、家康に駿河・遠江を与えた。 →0515 【重史226】
家康は、御礼のため、安土へ向かった。
五月十五日。
家康は、安土に到着した。
信長は、光秀に、接待役を命じた。
この日から、十七日までのこと。
密室にて
1/3
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→【四国問題】 天正十年 目次
【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3
→【重史040】 【重史146】 【重史240】
【重史014】
信長、家康を饗応す。 →【重史040】
饗応役は、明智光秀。
ここで、事件が起きた。
信長は、絶対専制君主。 →【重史146】
きわめて、誇り高い男。
逆上しやすく、 →【重史040】
自らの命令に対して、反対意見を言われることに堪えられない性格だっ
た。
このことを、他の誰よりも、よく知っていたのが光秀だった。
佐久間信盛を見よ!! →【重史240】
「朝倉破軍の刻」
信盛は、それを軽んじた故、粛清された 。
だが、光秀は、甘かった。 →【重史040】
「明智が言葉を返すと」
その一言が、信長の逆鱗に触れた。
信長の身近に、イエズス会の関係者がいたらしい。
おそらくは、黒奴「弥助」。 「松平家忠日記」
弥助は、「本能寺の変」を生き延びた。
捕縛され、京の南蛮寺へ。
→「イエズス会日本年報」天正十年十月二十日付
2/3
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→【四国問題】 天正十年 目次
【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3
→【重史041】 【重史028】 【重史005】
【重史033】 【重史016】
だが、この事件が、世間に知られることはなかった。 →【重史041】
フロイスは、このように見ていた (1~4) 。
1この事件が、「本能寺の変」のきっかけになった。
2光秀は、欲深い野心家である。
3光秀は、天下を欲していた。
4光秀は、計画的だった。
以上から、次のことがわかる。
1この事件が、「本能寺の変」の契機(引き金)になった。
2光秀は、自立の道を選んだ。
光秀の心が、信長から離れた。
3結果として、光秀に天下が転がり込んで来た。
4光秀は、計画的だった。
中国へ出陣すれば、全てが終わる・・・・・。
光秀は、決断した。
さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)候て、 →【重史016】
3/3①~⑤
【記事一覧】>【五大要因】 中 小>5 信長の油断>3 足蹴事件>
→【四国問題】 天正十年 目次
【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3
光秀は、極限状態に追い込まれていた (①~⑤) 。
①光秀は、粛清を怖れていた。 →5月12日 5/7
信長は、典型的な戦国武将。 →5月12日 4/7
猜疑心が強い。
信長は、執念深い。 →5月12日 4/7 5/7
根に持つタイプ。
後で、必ず、蒸し返す。
信長は、絶対専制君主。
信長は、天下の支配者であることを強く意識していた。
信長は、誇り高い男。
口答えする家臣を、決して、赦さない。
信長は、合理主義者。 →5月12日 4/7
無駄を嫌う。
信長は、不意を衝く。 →5月12日 5/7
粛清は、ある日、突然、訪れる。
恐ろしい男なのである。
佐久間信盛を見よ!! →5月12日 5/7
信長は、重臣といえども容赦しない。
信盛を粛清した。
光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。 →5月12日 5/7
「狡兎死して、走狗烹(煮)らる」
用が済めば、粛清される。
役に立たねば、粛清される。
邪魔になれば、粛清される。
戦いが終われば、粛清が始まる。
「明日は、我が身」
このことが、脳裏から、離れない・・・・・。
緊張の日々が、つづく。
②光秀には、老いの問題があった。
光秀は、高齢者。
年齢は、五十九±四歳ぐらい。 →そ第77話
生年は、大永四1524±四年ぐらい。
嫡男光慶は、まだ、13歳。
若すぎた。
六年前(天正四年)の大病のこともある。 →【重史013】 そ第7話⑰
光秀は、それ程、頑強な肉体の持ち主ではなかった・・・・・。
光秀の最大の敵は、時間だった。 →そ第76話
人生の残り時間は、少ない。 →そ第77話
光秀は、信長より、年長。 →そ第75
信長より、先に、死ぬ。
未熟な光慶を一人残して・・・・・。
光秀にとって、このことが最大の悩みだった。
相互不信の時代。 →そ第76話
信長は、光秀を信用していない。
光秀もまた、信長を信用していない。
光秀は、明智の将来が不安だった。 →そ第76話
信長の「さらなる夢」。 【重史008】 【重史260】『日本史』
果たして、その時、自分は生きているだろうか・・・・・。
となれば、明智は、光慶の代。
信長が、光慶を引き立ててくれる保証など何もない。 →そ第76話
「役に立たぬ」となれば、明智の領地は、召し上げられる・・・・・。
斯くなれば、明智は、再び、没落・・・・・。 →そ第76話
光秀は、それを怖れていた。
親ならば、当然のこと。
光秀は、このことに、頭を悩ませていた。
光秀は、頼辰の帰りを待った。
時折、「自立」の二文字が脳裏を掠める。
地獄の如き日々がつづく。
③中国出陣が間近に迫っていた。
甲斐の武田は、消滅した。 →【重史170】
信長は、浪合で、勝頼の首と対面した。 →【重史263】
光秀も、浪合で、勝頼の首を見た。
信長は、武田の滅亡を世に知らしめた。
飯田にて、勝頼の首を晒す。
敗者、斯くの如し。
「無念」
その形相(ぎょうそう)。
光秀の、脳裏にこびり付く。
信長は、勝頼の首を京へ送った。
信長は、絶対的な武力を手に入れた。 →【重史018】
「戦わずして、勝つ」 →そ第74話②
信長の勢威は、絶頂に達していた。
これすなわち、「武田効果」。 →【重史018】「武家事紀」
我ながら驚き入る計りに候、
最早、この国に、信長に抗う者など、いない。
信長の脳裏には、「勝頼の首」。 →【重史263】
信長には、絶大な自信があった。 →そ第74話②
「天下布武」は、成る。
否、成す。
中国出陣の日は、近い。 →4月24日
信長は、出陣のタイミングを窺っていた。
「重ねて、一左右次第、出勢すべく候」 →【重史036】「細川家文書」
信長は、目的意識の強い男。 →4月24日 5月12日 1/5
信長は、この年、四十九歳。 →【重史052】
「人間五十年」 → 【重史169】
信長は、この「五十年」を強く意識していた。 →5月12日 1/5
そのことが、信長に先を「急」がせた。 →5月12日 1/5
それが、「焦り」となり、
そこに、「隙」が生じた。
これすなわち、「油断」。
光秀は、これを見逃さず。
そこを衝いた。
それが「本能寺の変」である。
④四国出陣命令が発令された。
⑤「天下布武」が成れば、次は、「さらなる夢」。
以上①②③④⑤のような状況下で、足蹴事件は、起きたのである。
【参照】
【時は今・・・】 目次
0521 目 0526 目 0527 目 0528 目 0529 目
本能寺への道 1 2 3 4 5
本能寺への道1
そ第78話① 性格・人格・人間性の形成
そ第78話② そのような時代
そ第78話③ 四月二十一日 同二十四日
そ第78話④ 事態急変 五月七日
そ第78話⑤ 同十五日
そ第78話⑥ 「足蹴事件」
本能寺への道2
そ第78話⑦ 秀吉は備中に 同十七日
そ第78話⑧ 石谷頼辰は土佐に 同二十一日
そ第78話⑨ 土佐は僻遠の彼方 所要時間
本能寺への道3
そ第78話⑩ 同二十六日
そ第78話⑪ 分岐点 選択肢は二つ
そ第78話⑫ 同二十七日
本能寺への道4
そ第78話⑬ 同二十八日
そ第78話⑭ 同二十九日 上洛
そ第78話⑮ 同日 亀山 二人揃った
本能寺への道5
そ第78話⑯ 六月一日 出陣
そ第78話⑰ 同日 公家参集
そ第78話⑱ 同日、夜
光秀は、決断した。
【四国問題】 天正八年 天正九年 天正十年 目次
【四国問題 概要】 天正八年 天正九年 天正十年
←重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次
←テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
←その一因 目次大 概説大 目次中
←3光秀と光慶
(1)光秀の素性
(2)光秀の年齢
(3)光秀の嫡男
←見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
←【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
←【ここがポイント!!】
⇒ 次へつづく
