本能寺の変1582 【重要史料】 260306 №6-067 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重要史料】 260306 №6-067
はじめに ←目次 【記事一覧】
←【五大要因】
1時代の風潮 2光秀の実像 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
【京都馬揃え】 【重史191】 【重史200】 【重史201】 【重史202】
【重史242】 【重史243】 【重史244】 【重史245】 【重史246】
【重史247】 【重史248】 【重史249】 【重史250】 【重史251】
【重史252】 【重史253】 【重史254】 【重史255】
【さらなる夢】 【重史140】 【重史141】 【重史142】
【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
【信長という男】 目次
1/5 目 2/5 目 3/5 目 4/5 目 5/5 目 結論 目 【重史146】
【光秀という男】 目次
1/7 目 2/7 目 3/7 目 4/7 目 5/7 目 6/7 目 7/7 目
結論 目 1/8 目 2/8 目 3/8 目 4/8 目 5/x 目 6/x 目 7/x 目 8/x 目 9/x 目
10/x 目 11/x 目 12/x 目 13/x 目 14/x 目 15/x 目 16/x 目 17/x 目 18/x 目
【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】
【時は今・・・】 目次
0521 目 0526 目 0527 目 0528 目 0529 目
→重要 ◎目次
→重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次
→テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次
→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
240529 240603 240614 240703 240804 240809 240902
241029 241106 250210 250313 250412 250521 250705
250714 250810 250823 251224 260306
【重史全通】
【重要史料1】 001~020
【重要史料2】 021~040
【重要史料3】 041~060
【重要史料4】 061~080
【重要史料5】 081~100
【重要史料6】 101~120
【重要史料7】 121~140
【重要史料8】 141~160
【重要史料9】 161~180
【重要史料10】 181~200
【重要史料11】 201~220
【重要史料12】 221~240
【重要史料13】 241~260
【重史241】
①信長の宮廷に惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。
②彼(光秀)はもとより高貴の出ではなく、
③信長の治世の初期には、
公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していた
④その才略、深慮、狡猾さにより、
⑤信長の寵愛を受けることとなり、
⑥主君とその恩恵を利することをわきまえていた。
⑦殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、
⑧ほとんどすべての者から快く思われていなかった
⑨寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。
⑩裏切りや密会を好み、
⑪刑を科するに残酷で、
⑫独裁的でもあったが、
⑬謀略を得意とし、
⑭忍耐力に富み、
⑮計略と策謀の達人であった。
⑯築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、
⑰選(え)り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。
⑱絶えず信長に贈与することを怠らず、
⑲彼(信長)を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、
⑳彼の嗜好や希望に関しては、
いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け、
㉑必要がある場合などは涙を流し、
それは本心からの涙に見えるほどであった。
㉒人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習した
㉓信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、
㉔信長は彼を丹波、丹後二ヵ国の国主に取り立て、
㉕比叡山の大学(延暦寺)の全収入・・・とともに彼に与えるに至った。
『日本史』
【重史242】 公 天正09 158100223
①二月十九日、北畠中将信雄卿・中将信忠卿、御上洛。
②二月廿日、信長御出京。
本能寺に至つて御座を移さる。
③二月廿三日、きりしたん(切支丹)国より黒坊主参り候。
『信長公記』
【重史243】 公 天正09 158100228
①御弓衆、百人。
②御馬牽(ひ)かせられ候次第(一番~六番)。
③七番、夕庵(せきあん)、山うばの出立にて。
此の外、長安・長雲・友閑、御先に参らるゝ。
④八番、御曲彔持ち四人。
『信長公記』
【重史244】 公 天正09 158100228
①左、御先小姓、
②右、御先小姓、
③御馬大黒に召され、惣御人数廿七人。
④御内府の御装束。
⑤御眉にて、きんしや(金紗)を以てほうこうめされ、
⑥御頭巾、とうかむり。
⑦御後ろの方に、花を立てさせられ、
⑧御膚(はだ)にめさせられ候御小袖、紅梅に白のだん、
⑨永岡与一郎(細川忠興)、都にて尋ね、捜し求め、進上。
⑩御肩衣、べにどんすに、きりから(桐唐)草なり。
⑪御袴、同前なり。
⑫御腰に、ぼたんの作り花をさゝせられ、
⑬御腰蓑、白熊。
⑭御沓(くつ)は、猩々皮、
⑮(信長の)花やかなる御出立(いでたち)・御馬場入りの儀式、
⑯各、神感(=神が感応すること)をなし奉り訖(おわ)んぬ。
『信長公記』
【重史245】 公 天正09 158100228
①然れば、隣国の群集、晴れがましきに付けて、爰を肝要と、
②我れ劣らじと、あらゆる程の結構、生便敷(おびただしく)、
③数百人の事なれば、一々には、しる(記)し得ず。
④辰の刻より未の刻(8時頃~14時頃)まで、めさせられ、
⑤駿馬(しゅんめ)の集まり、記しがたし。
『信長公記』
【重史246】 公 天正09 158100228
①岐阜中将信忠卿、驄(あしげ)の御馬、
②北畠中将信雄卿、河原毛御馬。
③織田三七信孝、糟毛御馬、
④後には、御馬ども懸け足にめさせられ、御叡覧に備へられ、
⑤本朝の儀は申すに及ばず、
⑥異国にも、かほどの様(ためし)これあるべからず。
⑦天下安泰にして、黎民(れいみん)、烟戸(かまど)さ(鎖)ゝず、
⑧かほど面白き御遊興、
⑨天子御叡覧、御歓喜斜ならざるの旨、忝くも、御綸言。
⑩信長の御面目、勝(あ)げて計(かぞ)ふべからず。
⑪千秋万歳、珍重々々。
『信長公記』
【重史247】 ✓ 天正09 158100228
①きわめて気品のある有名なある行事を開催しようと欲した。
②華麗な出立ちの七百人武将が集うことになり、
③群衆の数は、・・・二十万人に近いと言われる。
④絢爛豪華な光景は生涯かつて見たことがないものだ、
⑤内裏も姿を見せていた。
⑥桟敷に似て、よく設備された立派な場所をわざわざ彼に提供した。
⑦濃紅色のビロードの椅子を贈呈していた
⑧それを四人の男の肩の高さに持ち上げさせて、
⑨一度馬から降りて椅子に座って見せ、
『日本史』
【重史248】 ✓ 天正09 1581003**
①行事が終ると、信長はただちに安土山へ帰還した。
②(ヴァリニャーノは)信長を観察しようと決めていた
③巡察師も後を追って安土山に向かって出立した。
④(安土は)全日本でもっとも気品があり
⑤(街路は)美しく見事な景観であった
⑥街路ははなはだよく手入れされていて、
⑦毎日二回、午前と午後に清掃が行われていた。
⑧住民の数は、話によれば六千を数えるという。
『日本史』
【重史249】 ✓ 天正09 1581003**
①巡察師が安土山へ到着すると、
②信長は彼に城を見せたいと言って召喚するように命じ、
③修道院にいるすべての司祭・・・いっしょに来るように命じた
④下にも置かぬように歓待し、
⑤城と宮殿を・・・案内するために、多くの使者をよこし、
⑥彼自らも三度にわたって姿を見せ、
⑦司祭と会談し、種々質問を行い、
⑧賞賛するのを聞いて極度に満足の意を示した。
『日本史』
【重史250】 ✓ 天正09 1581003**
①安土山の市は、信長の甚だ重要視する所であったから、
②(ヴァリニャーノは)セミナリヨをここに置くことを希望し、
③カザ(修道院)の最上層に、甚だ立派な広間を造った。
④オルガンティーノが・・・集めた少年武士二十五、六人
⑤有馬のセミナリヨ・・・と同一の注意・規則及び時間割
⑥当地方の人は、性質良く、才識あり、高雅にして言語洗練
⑦信長は、聖堂を非常に壮麗宏大なるものとすることを希望
⑧数回、パードレと語った。
⑨聖堂ができたらば、当城のキリシタンは増加するであろう。
「イエズス会日本年報」
【重史251】 ✓ 天正09 1581004**
①パードレ(ヴァリニャーノ)は、当所(安土)に約一ヵ月間滞在し、
②この地方のキリシタンを巡視する許可を信長に請うたところ、
③彼は、慈愛に満ちた言葉をもって許可を与へ、
④全領内希望の場所に、説教師を派遣することを許し、
⑤教えの弘布することは、彼の大いに喜ぶところであると言った
「イエズス会日本年報」
【重史252】 ✓ 天正09 1581007**
①パードレがキリシタンの巡視を終わって帰った時、
②信長は従前より大なる好意を表した
③好意の一つは、信長が屏風と称し、
④信長は知らざる・・・これを(内裏に)贈ることを欲しなかった。
⑤親愛の印として何か贈り、帰国の際携へ帰らせんと思ひ、
⑥コレジョ(神学校)を絵に・・・と考へて己の屏風を送付する、
⑦これを覧て満足すれば留め置くべく、然らざれば送り返せと
⑧この屏風は彼(信長)が非常に珍重するもので、
⑨彼(信長)がパードレを尊敬することを日本全国に知らしむる
⑩このことは信長がパードレに好意を有する証拠で、
「イエズス会日本年報」
【重史253】 ✓ 天正09 1581007**
①信長がつぎにパードレに示した好意は、
②カザの建築に多大の経費を要したことを聞き、
③窮乏を感ずることがあった場合には、
④必ず補助をするであらう
⑤殿下の好意によって早く実行さるることを期待する
⑥信長はこの返答を大いに喜んで我等を援助することを約束し、
「イエズス会日本年報」
【重史254】 ✓ 天正09 1581007**
①第三の好意は我等に夜の祭を観せたことで、
②この祭は・・・パードレのために行ったものである。
③パードレが暇乞のために行った際、
④望みがあればこれを観せよう
⑤信長は城の塔に各種の色の提灯を飾らせた
⑥街路の両側に・・・松明を持った多数の人を整列させ、
⑦昼の如く大いに明るくなった。
⑧信長は・・・楽しんだか、何と思ったかと尋ね、
⑨(信長は)大なる親愛と歓喜を示して
⑩(信長は)パードレに出発の許可を与へた。
「イエズス会日本年報」
【重史255】 公 天正09 158100715
①安土御殿主(天主)、 幷(ならび)に惣見寺に、
②挑灯(ちょうちん)、余多(あまた)つらせられ、
③手々(てんで)に、続松(たいまつ)とぼし申され、
④山下かゞやき、水に移(映)りて、
⑤面白き有様、見物群集に候なり。
『信長公記』
現在進行中!!
⇒ 次へつづく
