今さらながら私という人間について その1
皆様こんにちは。
株式会社カチカのオフサイトバックアップサービス及びデータ復旧サービスの担当者、村島です。
昨日はお休みをいただきました。親の面倒を見てました。
いやぁ、いろいろ大変っすわ。
というわけで、毎日恒例(にしたいと思っている)関係ない話シリーズです。
ギリシャの哲学者たちが大好きだったという、人食いワニの話があります。
人食いワニが、赤ちゃんを連れた母親から赤ちゃんをひったくり、母親にこう質問しました。
「この赤ちゃん、食べちゃおうかな。でも、俺様がこの赤ちゃんをどうするか当てたら、赤ちゃんは返してやろう」
母親は答えました。「ああ、きっと私の赤ちゃんを食べちゃうんでしょ?」
ワニは「ふむ、俺様がこの赤ちゃんを返すとすると、あんたの言ったことは外れだな。では、食べてしまっていいことになるな」
母親が「約束が違います!食べてしまうのだったら私は正しかったことになります。赤ちゃんを返して下さい」
愚かなワニは混乱に陥り、その間にお母さんは赤ちゃんをひったくって逃げましたとさ。
つまり、冷静に考えることが重要ですね。
というわけでした。
私が機械ものに特別興味を引かれた理由
私は東京在住の父、京都在住の母の間に生まれました。このふたりが出会った経緯なんかは省きますが、母は妊娠・出産のために里帰りしていた状態で、生まれて2週間程度で初めての新幹線に乗りました。
母が私を身ごもるまでは、私の両親と2歳年上の姉の3人家族でしたので、都内のアパートでなんとか生活できていたようなのですが、私が生まれることがわかったので家の経済に相応の戸建て賃貸を探した結果、当時の埼玉県大宮市にある小さな家に移り住みました。
当時の大宮は畑と家が半々といった感じの田舎町で、ただひたすら平たい景色の町でした。
ただ、巨大な国鉄の車両基地があり、毎日毎日電車を見て過ごしていました。私が機械ものに惹かれたのはこのせいかもしれません。
また、父は時計やカメラなどを扱う会社の社員でしたので、おもちゃが壊れたりしたら会社に持っていって、お客さまから故障のご相談があったりしたときのために用意していた工具で修理してくれたりしましたので、それに憧れたのかも知れません。
とにかく物心ついたときから電池がおもちゃ代わりだったというのは、いまでも母がよく語っています(父はもう亡くなりました)。
東北新幹線の建設で千葉県市川市へ
そのころ、東北新幹線の建設の話があり、皆様ご存じだろうと思いますが、大宮というのは東北新幹線と上越新幹線が分岐する新幹線の重要拠点です。
ですのでただ新幹線を建設するだけでなく、周囲を都市として開発しようという動きが国レベルでありました。
それに伴って我が家は引っ越しをすることになるわけですが、移転先になったのが千葉県市川市です。
ここが、私の子供時代で一番楽しかった思い出が残る場所かも知れません。
このころ、この市川市も大概な田舎町でして、梨畑がそこら中にありましたね。
いまは梨と言えば船橋市なのかも知れませんが、このころの市川市も主要産品が梨でした。なお余談ながら、私が梨の花粉症を持っているということが判明した場所でもありました。
仲のいい友達がたくさんいましたが、そういう友達と一緒に面白がって遊んでいたおもちゃも機械もの関係のものが多かったですね。
ラジコンカーとか、トランシーバーとか、そういったものでしたが…。
面白かったのが、学研が出していた電子ブロックというものでしたね。

(画像はWikipediaより)
各ブロックが1つの部品みたいになっており、そのブロックを組み替えることでいろんな機能を実現しようというものでした。
これなんか、割とストレートにこんにちのコンピュータにつながっていると思います。
ごく初期の、まだ真空管が使われていたころのコンピュータを連想させもしますし、こんな↓感じで

(画像はQiitaの「ブレッドボード上でCPUを1から作ってみた話」より引用)
https://qiita.com/yusuke_blog1026/items/df60eabaf5cc961c02d7
CPUを自作してしまおう!なんていう考え方の人たちにも一脈通じるものがあるように感じます。
こういう科学っぽいものが好きなのは続きました。中学も5科目の中で一番成績がいいのが理科と。そんな中学生でした。
ただ、中学生生活も終盤になってくると若干の違和感を覚えるようになってきます。
理科と並んで理系の両輪であるはずの数学が思ったように得点できなくなっていったのです。
「よっしゃこれは90点台取った!」と思っていたら70点台だったり、自分でも理由がよくわかりませんでした。
高校では典型的な文系人間
というわけで高校に進学したのですが、一応曲がりなりにも「進学クラス」なんていう名前がついているクラスへの進学でした。
高校へ行って私は理系科目が完全に崩壊しました。私が進学した高校は1年生の間は全員が同じ授業を受けて、その成績によって2年生以降「文系1」「文系2」「理系」みたいな感じで3つに分かれるという制度をとっていました。「文系1」と「文系2」の違いは、歴史科目が世界史メインで日本史がサブか、日本史がメインで世界史がサブかという違いでした。
そして高校へ入ってみてわかったのですが、私は英語と現代国語の能力がずば抜けていることが判明しました。
英語に関しては学年トップ常連でしたし、現代国語はクラス2位にダブルスコアの差をつけることすら珍しくありませんでした。
ただ、現代国語の先生は、1年生のときには授業でやったことではなくいろいろな大学の入試問題を出題するのが好きな先生でしたのでクラス全員が初見の問題が出て来るということで私がトップのことが多かったのですが、2年生以降は授業でやったことしか出さない先生に代わったんです。
この先生が、まあぶっちゃけて言ってしまうと非常に一本調子な喋りで聞いていて非常に眠いわけです。
そして小学生のころの担任の「過去は悪、未来は希望」という単純な歴史観を信じ込んでいた私は、歴史科目なんて全く勉強しませんでした。
このころの私は、とにかく「この授業は寝ていてもよい授業」と判断した授業では本当によく寝ていました。
また、中学生の途中ぐらいにたまたま筒井康隆さんの短編集を読んで彼の大ファンになった私は、軽い小説やエッセイなんかではありましたが授業中に机の下に本を隠して読んでいたこともありました。
記憶に残る限り、1ヶ月で150冊の本を読んでいたこともあったなあ。
このころの私の理系の成績というのは、とにかく数学に関しては惨憺たるものでした。数学の教師も悪かったんですよ。わからないから立ち止まっているのに、教えるのではなく罵声を浴びせたりたまには殴ったり、そういうことをする教師でしたから。あんなの、今の時代じゃあっという間に首を切られるでしょうね。
ただ、理科の科目に関しては成績よかったんです。理系グループは物理か化学から選択して履修するようになっていたらしいんですが、文系グループの理科科目は生物と決められていたんです。
私は変な生き物が大好きな人間です。これはいまでもそうです。ペットにするのならば可愛い生き物がいいですが、好奇心をそそられるのは大抵気持ちの悪い生き物です。
だから生物の時間で習うプラナリアとか大好物だったんですね。そういうわけで、生物の点数もクラス2位の1.5倍ぐらいの点数を取ってクラストップというのがお決まりになりました。
なぜ私は高校のときは寝てばかりいたか
今から考えると、なんですが…。
私の中高生時代と言えば、バブル経済の絶頂期でした。中学のときにも高校のときにも、クラスメイトは頭のてっぺんからつま先までピカピカのものを身につけていて競い合うようでした。
ですが、私の家は、ちょうどそのころ父と母がそれぞれに詐欺に騙されるような形で無収入になってしまい、極端な貧乏生活を強いられていました。継ぎの当たった服で登校させられることも当たり前でした。
父も母も、日々の生活を維持するだけでいっぱいいっぱいでした。だから、私が何を考え、どんなことに興味を持ち、これから先どんな風に生きていきたいのか、きちんと向き合って話をしてくれる大人が私の身の回りにはひとりもいませんでした。
だから私は、子供のころから引き摺ってきた「勉強ができる子」という周囲の大人の期待に反することで、自分の存在をアピールしようとしていたんだろうな、といまになって自己分析しています。
これをお読みいただいているあなたにお子様がいらっしゃるなら、私からひとこと言わせて下さい。
子供を勉強好きにする唯一の方法は、あなた自身が勉強好きになることです。子供が動物に優しい子に育つようにする唯一の方法は、あなた自身が動物好きになることです。子供が花を愛でる美しい心を持つようにする唯一の方法は、あなた自身が花が好きになることです。なんでもそうです。
逆にあなたの子供を勉強嫌いにする最善の方法は、教材だけ買い与えて、あるいは塾の費用だけ出して、あなた自身サッパリわからないような勉強をやれやれと怒鳴りつけることです。
あなた自身が勉強ができなかったばかりにあまり良い学校に行けず、それゆえに苦労したという経験の持ち主で、それゆえに子供にはそういう目には遭わせたくないということなのであれば、それは「子供のため」という名目であなた自身の人生の2周目をやろうとしているに過ぎません。こんな残酷なことが他にあるでしょうか?
もし自分に学歴がなくて苦労したというのならば、あなたがやるべきことは子供を怒鳴りつけて机に縛り付けることではなく、私の夢を代わりに叶えてくれと子供に頭を下げてお願いすることです。
そしてまた、あなたが「良い子=勉強ができる子」という考え方を持っているならば、それは捨てて下さい。そんな等式が成り立つ根拠はどこにもありません。
私は、中学生のころから気付いたら将来は学者になりたいという夢を持っていました。だから何の疑問も持たずに中学を出たら高校に行き、高校を卒業するときには大学を受験したわけですが、もしいまの自分が中学卒業を控えたころの自分にアドバイスをできるとすれば、
世界でひとつしかないようなものを作れる人間になりたくはないか?
と問いたいと思っています。中学のころには存在すら知らなかったような漆器・蒔絵・螺鈿などの伝統工芸がとても貴重なものだといまの私にはわかります。こういうものを作る人間になるには、高校や大学に行っている暇はないでしょう。そっちに進む人生もありだったなといまになって思います。

(画像はeureks様より引用)
https://onlineshop.eureks.co.jp/contents/278/

(画像はHARIYA様より引用)
https://shop.urushiarthariya.com/?mode=f3

(画像は武蔵川工房様より引用)
https://raden-musasigawa.com/portfolio/%E6%A4%BF-2
日本人が全員「学歴!学歴!」と叫んでいる間に、こういう世界でも高く評価されるような伝統産業や伝統芸能はどんどん危機に瀕し、消えていっています。私はこれに危機感を抱いています。本当に大学に行くことは、よい社会人になることに必須なのでしょうか?
私は義務教育の間にこういう伝統産業の素晴らしさをきちんと子供たちに教えるべきだと考えています。日本の日本たる由縁が、危機に瀕しています。
こういった伝統工芸の担い手の中には、弟子がつくことはもう諦め、作り方を詳細に遺すことで将来の日本人に希望を見出す人もいます。
私はこの歳で今さら職人さんに弟子入りもできませんので、せめてそういう記録を遺すという作業をお手伝いすることで、微力ながら貢献していきたいと思っています。
中学を卒業していきなり働くなんて「ダメな子」の証というのはとんでもない偏見です。
私が寝てばかりいた理由…極めて医学的に
これはずーっと後になってわかったことなのですが、このころ寝てばかりいた…と言うより生活リズムが恐ろしく乱れた理由は他にもありました。
おそらくなのですが、このころ私は慢性甲状腺炎、別名橋本病を発症していたと思われます。
なんでこんな表現になるのかというと、橋本病というのはいままさに発症しているという形で見つかる方が稀で、大抵は事後的に「多分発症していましたね」という形になることが多いんです。
この病気は、甲状腺ホルモンという物質を体に放出する甲状腺という喉のあたりにある器官が異常に多量の甲状腺ホルモンを放出しながら崩壊していく病気で、そして崩壊しきってしまうと逆に甲状腺ホルモンが逆にほとんど出なくなります。
甲状腺ホルモンというのは、簡単に言うと身体に「頑張れ」という指令を出す物質で、健康な人は朝たくさん出て夜少なくなります。だから一般の方は朝元気が出て夜眠くなるわけです。
このリズムが私の場合全く失われてしまいました。起きるべき時間に起きられない、眠るべき時間に眠れない。
「なんとか眠らなくちゃ」と考え、何か食べることで眠れることも多かったので、それを繰り返した結果体重がどんどん増えていくことになりました。これがまた後に厄介なことになるのですが、それは次回にしましょう。
この病気は、ほとんどの場合中年後期の女性に発症します。10歳代後期の男性に発症するなんていうのは非常にレアケースだと思います。もし医学教育の役に立つのならば、私は献体したいなと思っています。
というようなわけで私の高校時代まででした
突然私の個人史を語らせていただきましたが、これは私がなぜ古いものを次代に繋いでいく仕事がしたいと思ったのか、そこの理由になっていますのでしばらくお付き合い下さい。
よく思うんですが、いまの私というのは本当に偶然の産物なんだなということがあります。私もこれまでの人生の中でいろいろな夢を思い描いてきました。そして次から次に挫折していったわけですが、そういう過程を経ていまに至るっていう感じですね。
だからと言って私はいまの生活が嫌なわけではありません。むしろ自分の人生はとても順調だと思っています。自分はこういう道に進むべき人間だ、という自己認識は、しばしば外れるものだと思います。そして外れたからといって落ち込むことはない、むしろ神様が本当に向かうべき方向に私の立ち位置を修正してくれたという感覚すらあります。
というわけで、次回また続きの話を申し上げたいと思います。
よろしくお願いいたします。
目次
クラウドストレージと遠隔地バックアップの相互補完性
クラウドストレージのデータ消失に関する責任の所在
ディザスタリカバリ手順をあらかじめ決めておくべき理由
弊社でお取り扱いしておりますデータ・OSにつきまして
クラウドストレージのメリット・デメリット
Windowsからの乗り換え先になるか? Linux MintとChrome OS Flex
バックアップの方法 オフライン・オンラインバックアップとは?
IPAの言うセキュリティ対策の基本を見ていきましょう! その1
IPAの言うセキュリティ対策の基本を見ていきましょう! その2
IPAの言うセキュリティ対策の基本を見ていきましょう! その3
IPAの言うセキュリティ対策の基本を見ていきましょう! その4
IPAの言うセキュリティ対策の基本を見ていきましょう! その5
IPAの言うセキュリティ対策の基本を見ていきましょう! その6
IPAの言うセキュリティ対策の基本を見ていきましょう! その7
IPAの言うセキュリティ対策の基本を見ていきましょう! その8
IPAの言うセキュリティ対策の基本を見ていきましょう! その9
IPAの言うセキュリティ対策の基本を見ていきましょう! ラスト
内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)を見ていきましょう!
内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)を見ていきましょう!その2
内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)を見ていきましょう!その3
内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)を見ていきましょう!その4
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その1
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その2
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その3
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その4
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その5
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その6
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その7
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その8
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その9
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その10
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その11
─事件を解決せよ─ CASE2:Webサイトのデータが消えた Part 1
─事件を解決せよ─ CASE2:Webサイトのデータが消えた Part 2
今日はバックアップに関する最近の話題をつらつら語りたいと思います
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その12
─事件を解決せよ─ CASE3:火事でオフィスが焼失 Part 1
─事件を解決せよ─ CASE3:火事でオフィスが焼失 Part 2
ランサムウェア・インシデント発生時の組織向けガイダンスを見ていきましょう!その13(最終回)
今日はバックアップに関する最近の話題をつらつら語りたいと思います その2
オフサイトバックアップに関する最近の話題をつらつら語りたいと思います
バックアップがきちんとしていれば起きていなかった情報事故 その1
バックアップがきちんとしていれば起きていなかった情報事故 その2
中小企業のための簡単・安価なデータバックアップ戦略 その10
大企業における物理的媒体による遠隔地バックアップの重要性 その1
大企業における物理的媒体による遠隔地バックアップの重要性 その2
大企業における物理的媒体による遠隔地バックアップの重要性 その3
